森田美勇人様
2018年が、終わろうとしています。
最後まで内外問わず、たくさんのひとに愛されていて、それを垣間見ることができる時間を与えられたことに感謝します。
「ジャニーズのアイドルである森田美勇人」は今日で終わるけれど、明日からも森田美勇人は誰かのこころの中で輝き続ける、そして新しい輝きも与えられる生き様であることを願っています。
あの年の交差点で泣けたことが今につながっているのだから、やはり未来なんてどうなるか全然わかりません。
そしてあの年の交差点で泣けたから、わたしもひとつ強くなれました。
なにごとも経験ですね。
意外と早いかもしれないし、思っているよりも遅いかもしれないけれど、また交差する日がくるのなら、その未来も楽しみにしています。
本当に、ありがとうございました。
楽しかったー!
13年3か月の、我が美勇人担人生に悔いなし!!
2018.12.31
森田美勇人退所餞別 『超豪華!!最初で最後の大同窓会!ジャニオタ(元含む)はてなダイアラー祭り』 エピソード10(編集後記)
ついに8時だJが終わってしまいました。
懐かしい!楽しい!翼くん(泣)までは盛大にわっしょいわっしょいしていたのですが、滝つ曲が始まった瞬間、驚くほどスッと感情が動かなくなった自分に自分で驚きました。
現役がバックにつくのも知っていたし、それを見たところで何か感情がわくわけでもないだろうと思っていたから、まさかそういう状態になるとは、です。無意識部分にある感情って、こうやって突然のぼってくるんですね。
在籍していたらバックに「いた」であろう人たちがいない、その反面、在籍しているけどバックには「いない」人たちもたくさんいる。
ただそれだけの現実。
それぞれの現実。
「なんで?」とか「悔しい」とかそういう感情はまったくないのだけど、やっぱり寂しいのだろうね。でもそれって当然だよね。
そんな8時だJ復活祭り終了とともに、この美勇人退所餞別 はてなダイアラー祭りも本日で終幕です。
豪華なみなさんにそれぞれらしい素晴らしいテキストを頂き、本当に感謝しかありません。僭越ながら各エントリ前に書かせて頂いたコメントも、余裕でもっともっと長く語れるのですが、素晴らしいテキストの前にわたしが長々とお目汚しするわけにもいかないので、推敲してあの程度にまとめました。
今回このような祭りを開催して実感したのは、あの頃のジャニオタはてなダイアリーはやはりひとつの文化として成立しているということ、そしてそこに参加できていたことは、現場だけでも十分楽しいオタ活をより輝かしく大切なものにしてくれたのだなぁということです。
そしてこの文化は、書き手だけではなく、読んでくださっていた方-読み手としての自分も含め-双方のものなのだということを、強く思いました。
紡がれた文章の元となる記憶は書き手さんのものだけど、一度公開された文章は、共有されみんなの記憶となる。そして日常で思い出すことはなくとも、こうして何かきっかけがあったときに蘇る鮮やかな感情。
もはやこれは、ひとつの大きな財産です。
今は更新していないから非公開にしているかたもいるかと思いますが、そこに書かれている文章は、自分にとっても、そして誰かにとっても貴重な記録です。ぜひ大切にしてください。
今回のお祭りを楽しんでくださったかた、参加してくださったかた、本当にありがとうございました!
はてなダイアリー祭りに関する感想、各エントリに関する感想、美勇人くんに対する想いなど、いまあなたの胸になにか言葉にしたい!という感情がありましたら、メールフォームよりお送りください。
140文字以内でも大歓迎です(笑)(参加ダイアラーのみなさんに該当する部分は、ご本人へ共有させて頂く場合がございます。)
* * * * *
さて、ここからは完全に個人的な編集後記なので、興味のあるかただけ読んでください。
締切は全員同日なので、誰も内容に関して打ち合わせはしていません。それなのに現役すのまん担2名は取り上げる内容が被るのが興味深いし、なにより青山から駆け下りて横アリに向かったことをみんな書きすぎ!(笑)横山さんのソロコンとそれに伴う自分の行動は本当に大きなことだったのでわかるけども。
ここまで被ったからには自分のはてダ過去ログをまじえながら、どういうことだったのか詳しく書いておこうと思います。
時は2009年3月。
青山劇場ではエイトの安田くん主演、風間くん出演の舞台「カゴツルベ」が上演されていました。
元々カゴツルベの予定で、体力的に1部の参加は諦めたのですが、でも「もしかして」のためにうちわを持参して登山しておりました。
ちなみにAよしさんは「我慢できなかった、しゃしゃ見てくる^^」とのメールを残して10時開演の1部に入りカゴツルベにやってきました。
過去ログより
確かにわたしは「青山から横アリにはしご」してるけど、ありよしさんは「横アリから青山にはしご」してるからね!?(笑)
順番が逆なだけで、やってることは同じだよ!!
私は久しぶりのみなさんにも会えたのでお話したかったし、もう90%は行かない気持ちで終演後カフェに入って注文までしたところで天からの声が。
じたんはまた次観ればいいし…と言ったらAよしさんから「(いついなくなるとも分からない)バック担がそんなこと言っちゃダメだよ!」と叱咤され(笑)、みなさんの「いいから行きな!」という優しい声に背中を押され、店を飛び出した16時。
そこからコンビニに飛び込んで携帯の充電器を買い(電池残量危うし)、雨の中傘をささず青山を駆け下り、ギリギリで特急に乗り込みました。
そしてミラクルなことに着いた先にはtabasaさんとお友達。
過去ログより
チケットをお譲り頂くメールをやりとりしている中で、妙に定価を念押しされている気がしたので、後ほどそんな当然のことをどうして?ときいたら、譲る掲示をしたらことごとく「定価以下で」という連絡しかこなかったそうな…。天下の山田涼介がいるセブンコンでもまだまだそんな時代でしたね…。そんな中、やっとまともそうな人からメールがきた!となり、お譲りを決めてくださったそうです(笑)
たばささんとはそれ以前に他の会場で会ってご挨拶はしていたのですが、二人きりというのはこれが初めて。「直観でhinacoさんがくると思った!」と言われ、そこからミラクルみゅーと担が始まりました(笑)
席に向かうと、メインステと外周花道が交差するまさに角の前列という完全に良席。だからこそまともな人にお譲りしたいという気持ちがあったそうで、その節はご縁を頂き本当にありがとうございました。
そんな良席なので、まぁすぐに気づいて頂けまして。
2009年3月の美勇人は13歳で、まだ反抗期前なので(笑)目の前でうちわに気づいた瞬間、にっこ~と効果音をつけたくなるような笑顔になるわけです。もちろんファンサはもらえたらそりゃ嬉しいですが、それ以前にその頃はまだうちわが数枚あるかないか程度だったので「あなたを見に来ているファンがいるよ。どこの位置で踊っていても見ているよ。」ということを伝えるためにうちわを持っている意識の方が強いので、毎回その笑顔を向けてくれる度に、「よし、任務完了!」の気持ちだったのです。
なので、この時も「は~良かった~相変わらず踊ってるときは世界一かっこいいのに、向けてくれる笑顔は年相応だよなぁ」と喜んでいたら、わたし以上に隣のたばささんが「可愛いーーーー!!!えーーーみゅーとってあんな顔で笑うの!?」と大興奮していて面白かったです(笑)
それと同時に、そうか~このギャップが美勇人の良いところでもあるのに、当然ながらパブリックイメージではないのだな~ということを実感。まぁうちわ数枚あるかないかでパブリックイメージもなにもないんだけどさ。
過去であればあるほど、隣の人が「あんなに可愛い笑顔なんですね!?」となってくれることが多かったので、昨今は「笑顔を好きだと言ってくれる人が多いから、少しでも多く笑っていようと思っています。」と本人がいうまでになって良かったね、と思うのでした。
以上が、「hinacoさん青山を駆け抜け横アリへ向かう」からの「ミラクルみゅーと担がやってきた」の全貌でした。
* * * * *
ありよしさんの寄稿の中に、下記のような部分があります。
山田様が中学生になる頃には私はhinacoさんと「男はランドセルを下ろしたら大人!アルトリコーダー吹いてるし、もう算数じゃなくて数学を学んでるから!」と言い合うようになり、小中学生に夢中になることをすっかり肯定できるようになりました(その会話を聞いていた周りの人は多少何か言っていた気がしなくもありませんが)。
これランドセルもアルトリコーダーも数学も、全部言っていたのはありよしさんだとわたしは記憶していたわけです。しかし彼女は彼女で、わたしが言い出したという。しかし「算数じゃなくて数学を学びだしたら大人」は確実にありよしさん!
最後まで結論がでなかったのが、アルトリコーダーでした。双方のはてダを検索しても判明しなかった謎のアルトリコーダー。
「ありよしさん(仮)の寄稿を受け取って、その内容について今アルトリコーダー論争をしていて…」ということを鉄の人に伝えたら、「どっちでもいいし、どうでもいい」と返ってきました。
文章なのに冷ややかな目線がみえる…!
KO・WA・I!!
あと、ありよしさんがおへそに泣いていたのは、引きはしなかったけど、別に肯定もしていないよ…ということは私信として書いておきます。っていうか、わたしはそのときメインステにいるみゅーとを見るのに忙しくて、なにやら隣から不穏な感じがすると横をみたらありよしさんが泣いていたのでした。あの瞬間はいま泣くような曲だっけ?と疑問しかないから。普通にこわいから。
* * * * *
Nさんの寄稿を読んで、すごく驚いたというか、言われてみれば!とそこで初めて気づいたことがありまして。
私はそうだけど、自担が退所したあとの身の振り方は本当に人それぞれですよね。
hinacoさんは「ジャニオタではなくなる」道をもうきっぱりと宣言しています。
美勇人担になってから退所までの月日、彼女がどんなスタンスで、どんな想いを寄せてきたか、美勇人に何を見てきたか、それが表れた選択だなあと思いました。
すべてを見てきたわけじゃない身で生意気に言いますけど「きっとその選択にたどり着いたよね」と私はすんなり納得できます。
「みゅーとがジャニーズじゃなくなる=わたしがジャニオタじゃなくなる」という思考しかなかったので、そうか、降りるという選択肢もあるのか!!という衝撃(笑)
ジャニオタではなくなるけど、別に事務所に対して執着もないけれど興味がないわけでもないから(滝沢チルドレン世代だし)、普通に面白そうな演目があれば観ようかな程度にしか考えていませんでした。(とここまでは復活8Jまでに書いていたのですが、今回の経験を経て、ご贔屓がいなくなった直後の組公演は観られないな…と感じているの同様、しばらくはJもそうなのかもなぁ)
なので、Nさんの寄稿を読んで「美勇人が退所したあとの身の振り方」を思い悩む人も結構いるのではないかなと、いまさらながら思った次第です。
個人的なことを言わせてもらえば、他に事務所に好きな人がいるなら全然「自担」は代わっていいと思います。楽しめるなら楽しまないと。あなたの人生はあなたのものです。
そして引き続き美勇人も(表舞台にたった際は)応援してほしい。普通に「美勇人ファン」でいいじゃない!という気持ちです。
もちろん自担が別にいたらお金や時間のかけかたは変動するかもしれないけど、たとえ10の力が3しかかけられなくなったとしても、それはしっかりファンです。愛ある声援です。
J以外は興味がないタイプでないかたは、ぜひ今後も美勇人くんへの愛を心に持ちつつ、それぞれの人生を楽しんでほしいなと思います。
もちろんわたしもそうします。
* * * * *
そして最後に、上の流れにも関係することですが、わたし自身の話を少ししますね。
寄稿内でそれぞれがあれ程書いているのでいまさらですが(笑)わたしも宝塚歌劇団を愛する一員です。
そしてご贔屓(Jでいう自担)の退団を間近に控えたファンでもあります。
ねぇねぇ、
ご贔屓の退団が発表された約1週間後に、自担も12月末付けで退所しますよって伝えられた人の気持ち、想像できます???
天海さんもそんなことある???*1
自担とご贔屓が一度にいなくなる未来を控えた人なんて、11月の時点で日本でわたしくらいなのでは?と思っていたら、今回寄稿してくれた友人たちから「パイオニアを名のっていい」とお墨付き(?)を頂きました。(そしてそれも各自が送ってきた言葉であって、みんなで話していたわけではない)(パイオニアって被るもの?)
そういうわけで、今のわたしはパイオニアです。改めてよろしくお願いします。もし全く同じ境遇のパイオニアのかたがいましたら、ぜひお友達になってください。
で、ここからが本題なわけですが、もし「美勇人くんがいなくなるから今までみたいにJに興味はもてない。宝塚は観たことないけど、人生で一度は観たいと思っている」というあなた。
そう、あなたです!
まさに今がそのとき!観よう?気分転換かねて、軽率に観てみよう?もうそのくらい気軽で全然大丈夫だから。
ただ、やはりヅカにも初観劇に不向きな演目ってのはあります。なにも知らない一般人に気軽に13月を探すジャニーズワールドをみせることを躊躇するみたいな、オタクは楽しいけど果たして最初にこれをみせていいのだろうか?PZから始めた方がいいのではないか?みたいなそれです。
だから気軽に声をかけてくれたら、いくらでもアテンドするよ!別に自担が健在でも興味あるならいくらでもアテンドするよ!(笑)
2019年、宝塚歌劇団(のファン)はあなたの新しい一歩をお待ちしております。
というわけで、あまりにも感情過多が次々押し寄せるというのが今のわたしの現状でした。少しでも伝わってくれたら幸いです…。
森田美勇人退所餞別 『超豪華!!最初で最後の大同窓会!ジャニオタ(元含む)はてなダイアラー祭り』 エピソード9(Aさん)
【企画の説明を未読のかたは、先にエピソード0をご覧ください。こちら→■】
本日はようこそ、森田美勇人退所餞別 はてなダイアラー祭りにお越しくださいました。
このエントリ寄稿者はAさんこと、ありよしさんです。
ありよしさんも鉄の人と同じく、いちばん古い友人のひとりです。わたしの唯一の自慢は、Too shyなありよしさんがオタク人生で唯一(実際にはもうひとりの友達とあわせて)自分から声をかけてくれた相手だということです(笑)ありよしさんだけは文章から全く本人像を想像できないままにお会いしたら、ほんわかした可愛らしいおねーさんで本当に人は外見だけではわからないな!と思ったものです。しかし約14~15年前(こわい…)に会ったわたしの時でさえそういうギャップが大きい人だったのに、年々パワーアップし、「本当に存在したんですね」と言われる愚民として完成する非実在ありよしさんなのでした。
ありよしさんといえば、頭がよすぎておかしい人の代名詞みたいなところありますが、本当に何度真剣に「その頭脳をもっと国のためとかに使った方がいいのではないか」と言ったかわかりません。でも、彼女にありよしさんとして出会えなかったら、わたしのオタク人生はもっと鬱々としたものとなっていたことは間違いありません。ありよしさんでいてくれてありがとう!最近はお互い落ち着いた大人になりましたが、これからも共鳴して生きていこうね。
それではお待たせ致しました。ありよしさんのお言葉をお楽しみください。
この度は本当に、ありがとうございました。
* * * * *
2005年5月、私の中で世界一かっこいい男は12歳の山田涼介でした。
滝つコンの無所バックとして山田くんがガシガシ夢物語を踊る姿に一目ぼれし、そこから山田様信者になっていきました。
ちょうどその年の6月にみゅうとが入所し、hinacoさんも世界一かっこいい9歳のみゅうとに出会うことになります。
2009年3月、Hey!Say!7コンで私は知念様の愚民になりました。
同じコンサートで、hinacoさんはみゅうとを求めて青山劇場から横浜アリーナへはしごをしていました。
そのせいか私が知念様に転げ落ちた時のことを思い出すと、宮益坂を駆け下りていくhinacoさんのことも思い出します。
本当にhinacoさんとは色んな現場に一緒に行って、何度も一緒にハートのピンチ(ショタ時代の錦戸さんの名曲「Secret Agent Man」より)に陥りました。
つい昨日のことのように思い出せるのに、そんなみゅうとがもう23歳の青年で、自身の意思で退所をするというのだから、時の経つのは本当に早いなぁと思います。
今年は色んなことがありました。
タッキーが引退を表明し、翼くんとすばるさんが事務所を去り、Love-tuneもいなくなってしまう。事務所の力が弱まっているのかとか、ジャニーズのままではできないことがあったのかとか思う反面、それでも彼らにとって「ジャニーズ」として生きてきた期間はかけがえのない時間であったはずです。
自我が固まりきらない年頃からただひたすら仲間たちと駆け抜けてきた時代は彼らにとって真の青春時代でしょう。そして、そんな時代を勝手に見守り続けていたおたくにとっても、そんな時間が青春となっているのです。
そしてそんな青春のほとばしりをすべて詰め込んでいたはてダまでなくなってしまうなんて、2018年の漢字は私にとっては「失」です……。
私がジャニヲタ時代を思い返して、一番青春だったなぁと思い返すのがエイトファン時代と山田様信者時代です。
2004~2007年頃、エイトのことはもちろん、東西チビジュも大好きでした。
Ya-Ya-yahを頂点とし、台頭するJ.J.Express、エビ、キスマイ、関ジュ、ジュニボ、エビジュ、無所だってみんなみんな大好きでした。
自身が若かったこともあり、今よりももっと切実に彼らのことを応援し、時には悩み、時には怒り、時には泣きながら、いつだって全身全霊で萌えていました。そしてその溢れだすパッションをはてなダイアリーにぶつけてました。
hinacoさんと初めて会ったのはそんなやばすぎるエイトファン時代でしたが、私たちの思いがより共鳴し始めたのは私が山田様を好きになり、hinacoさんがみゅうとを好きになってからです。
私がジャニヲタになったきっかけは金八の風間さんで、その後に好きになったのはエイトのやっさんでしたが、その一方で少年らしい無邪気さを振りまいている戸塚さんにも夢中でした。
柔らかな丸みのある薔薇色の頬、まだ固まりきっていないしなやかな肢体と、それに見合わないがむしゃらなダンス。精神的にも肉体的にも成熟しきっていない戸塚さんの瑞々しい無自覚な色気は私の中にほとんどなかった美に対する芸術的な感性を芽生えさせてくれました。
オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』に登場するドリアン・グレイや、ドストエフスキーの『罪と罰』のラスコーリニコフや果ては『悪霊』のスタヴローギンなど悪魔的かつ病的な魅力を持つ美青年はすべて17歳の戸塚さんで再現するようになり、戸塚さんが18歳になる時は失われていく少年性とイノセンスを思い、酒を飲みながら泣いていました。
そんな私の思いを一番理解してくれたのは今も昔もhinacoさんだけです。
戸塚さんに少年の魅力を学んだ私は、12歳の山田様に恋をしました。
流石に小学6年生にはまることに多少のとまどいはあった気がするのですが、hinacoさんは「男の子が世界一かっこいいのは小学生だから無問題!」と軽率に後押しをしてくれました。
山田様が中学生になる頃には私はhinacoさんと「男はランドセルを下ろしたら大人!アルトリコーダー吹いてるし、もう算数じゃなくて数学を学んでるから!」と言い合うようになり、小中学生に夢中になることをすっかり肯定できるようになりました(その会話を聞いていた周りの人は多少何か言っていた気がしなくもありませんが)。
hinacoさんと出会っていなければ、ここまで突き抜けた思想は持っていなかったことでしょう。
そして後に訪れる知念様の熱狂的愚民時代もあそこまでひどくなることはなかったでしょう。
一度ためらいがなくなれば、小中学生の未分化な魅力は素晴らしく、日本人があれほど短い間しか咲かない桜を愛でる気持ちが心から理解できるようになりました。
思春期真っ只中の不安定さもある高校生も素晴らしいのですが、小中学生はまだあまり精神的な揺らぎがない分まっすぐで、自分自身の魅力にも無自覚な分清らかで、週刊誌に攻撃されることもありません。
そこは本当に桜の時期のように短い間だけいることができる桃源郷です。
滝沢演舞城で中学生の山田様のへそチラを間近で見た時は、そのおへその可愛らしさとおへそが見えてもがむしゃらに踊り続ける無邪気さと清らかさに感動して泣きました。
そんな時もドン引きする他のおたくの中でhinacoさんだけは肯定してくれていたような気がします(たぶん)。
知念様の愚民になった時も、一番話を聞いてくれたのはhinacoさんでした。
福岡に一人で遠征して間近で知念様のわき(無毛地帯)を見て、そのハロプロ女子アイドル級の美しさに感激し、その思いを我慢しきれずにhinacoさんに電話したのも良い思い出です。
私がこんな風になってしまったのは、私の思いを軽率に後押しし、受け入れてくれたhinacoさんのせいで、おかげで本当に楽しいジャニヲタ生活を送ることができました(その分、失ったものもある気がしますが)。
私は遥かな高みにいる対象をひたすら賛美し崇め奉るタイプのおたくですが、hinacoさんは少し違います。
基本的にはみゅうとのダンスやかっこよさは全肯定なのですが、その一方でタイガーマスクのように腕組みして冷静に観察し、みゅうとに改善すべき点があれば容赦なくダメ出しもしているイメージがあります。
私にとってhinacoさんはみゅうとのプロデューサーです。
みゅうとのその時の仕事やみゅうと自身の特性から、その先のみゅうとの展望をよく語っていて、割とその通りにみゅうと自身が歩んできたような気がします。
そんなみゅうとは私にとっては親戚の子のようなポジションで、たまたま私が行ってhinacoさんが行っていないコンサートにみゅうとが出ていると、「今日はhinacoさんがいないから私がみゅうとを見ないと!!」と勝手な使命感に燃えたりもしていました。
hinacoさんも私も元々素養があったのかもしれませんが、こんなにも少年が素晴らしいことに気づいたのはあまりにも12歳の山田様と9歳のみゅうとがかっこよかったからだろうし、そのことを全力で肯定してくれるhinacoさんがそばにいたおかげで、私も新しい扉をガンガン開いてしまいました。
彼らのことを子供としてではなく、一人前のジャニーズの人間として真剣に向き合い、全力で萌えていました。
彼らの成長を喜びつつも、惜しみ悲しむ気持ちを分かってくれたのもhinacoさんで、彼らの青春時代を一方的に見つめながら、私も自分の青春時代をhinacoさんと過ごしたような気がします。
少年はいつか成長し大人になります。
今回みゅうとが事務所を旅立つのは、本当に象徴的な出来事で、私も感慨深い気持ちになりました。
あんなに小さかったみゅうとが大人として自分の道を歩き出そうとしているのです。
いなくなってしまうことは悲しいし、寂しい。
でも、『愛・革命』でタッキーが言っていた通り、悲しい夢も涙も捨てないで、そっと青春の小箱に詰めておけば、きっといつか彼らにとってもおたくにとっても美しい思い出としてよみがえることでしょう。
現にカウコンで4TOPS復活なんて、本当に青春の小箱全開過ぎることがここに来て起きるのですから。
だから最後に言いたい。
タッキー、また革命やって!!!!
そして、みゅうと始め、ジャニーズを駆け抜けていった全ての方々(おたく含む)の未来に幸多からんことを祈っています。
森田美勇人退所餞別 『超豪華!!最初で最後の大同窓会!ジャニオタ(元含む)はてなダイアラー祭り』 エピソード8(Nさん)
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本日はようこそ、森田美勇人退所餞別 はてなダイアラー祭りにお越しくださいました。
このエントリ寄稿者は、Nさんです。
わたしにとってNさんは、実は5~6年くらい前までは一番ミステリアスな人でした。これを読んで「えええ!?」って言ってる姿が今では容易に想像できるけど(笑)。もちろんそれ以前、エイト担時代のはてダからずっと読んでいたけど、ここに書かれている文章は、Nさんの中のどの辺りまでなのだろうと不思議に思う気持ちが自分の中にありました。いや、他人のことなんてわからなくて当然なんだけど、そういう中でも断トツでわたしにとっては掴みどころのない人だったのです。
だから5~6年前に居住地が近くなったとき、会いましょうと言ってくれたのがすっっごく嬉しかったのですよ。わたしに興味ないと思ってたから(言い方 笑)。その時に持参した別ジャンルの雑誌を見せたところ、Yさん同様坂道転げ落ちるように加速して、気づいたら即ひとりで初観劇もすませていました。そのときに、あぁそうかこういう人なんだ!と文章と本体が繋がった気がします(笑)わかってしまえば単純で、常に全方位への愛がたくさん心に溢れたひとだから、大きすぎる愛情をわたしが読み取れていなかっただけ。Nさんの持つその素敵な愛を、今回はわたしにも分け与えて頂き嬉しいかぎりなのです。
それではお待たせ致しました。Nさんのお言葉をお楽しみください。
この度は本当に、ありがとうございました。
* * * * *
hinacoさんの最後のエントリを読んで、即座に彼女がジャニヲタとしての最後の大階段を降りてご挨拶している姿が浮かびました。
ならば私は同期としてお花を渡す気持ちで言葉を綴ってみようかなと思います(なんの同期だろう?笑)。
美勇人はずっとジャニーズにいるものだと、なんとなく思っていました。
大抵のJr.に対しては「あの子はデビューするかもなー」とか「いつかは進路を決める日も来るのかなー」なんて無責任に思うのですが、なぜだか美勇人はデビュー云々に関わらず、ずっとジャニーズでいるような気がしていたんです。
根拠はありません。小さい頃から知っていたからかな?でもそれだけでもないような。
長く在籍していてフロントに立つような子にも「いつまで見ていられるのかな」とかよぎることはあります。美勇人にはそれがなくて、きっとジャニーズにいるのがすごく自然なんだと無意識に感じていたのかもしれません。
最初に美勇人を知ったのはたぶん3誌でだったはず。何かの動物に似てるなとか思ってました。エイト担だった頃だと思います。そう、あのヨコソロ(東京だけだけど)に私もいました!懐かしい!
担当の初関所越えに立ち会ったhinacoさんのエントリをすごくドキドキしながら読んだのを覚えています。Jr.担の醍醐味を見せつけられたようで興奮しました。あのエントリ大好きです(告白)。
どうしても知った時…というか一番見ていた頃の印象が強く残るので、私が美勇人の姿を想像する時は小~中学生の姿です。パッと思い出すパフォーマンスもその頃のものが多いです。少クラのとある曲ですのーまんに混ざってバックについた美勇人、一番小さいのに*1すごく存在感があって。
もともとやりおるのは知っていたけど、小さいのに信頼の置ける存在に育ってるんだなあと、他担ながらに拍手を送ったのを覚えています。今もその時の気持ちは思い出せますね。
そんなかっこいい美勇人も、パフォーマンス中以外は別人みたいだなーって思ってました。歌い踊っていない時の小さい美勇人は軟体動物みたいなイメージがあって(ごめん…)、それがステージに立つといきなり脊椎が現れて!みたいな…?今思うとそんな感じです。
なんだか当時はなんとも思っていなかったことをこうして振り返ると、オタクの萌えと向き合っている気がしてゾクゾクしてきましたよ。
そのあと私は美勇人とあんまり関わりのないJr.に降りてしまったので、気づいたら大きくなっていたなという印象です。でも元担と同じお仕事だったPZ10ってまだ14歳だったんですね…。
ここ数年はジャニオタと自称するのも憚られるくらいのライトファンになってしまったので、たまに深夜のJr.番組での残念な(笑)姿を見かけて「あっこういう感じに育ったのか…」とか謎の目線で見守る程度でした。
だから今年の美勇人やLove-tuneの活動状況なんてまったく知りませんで、夏にhinacoさんとご飯した際にやっと彼らの置かれた状況を把握した次第です。外野は呑気なものです。きっとファンの方が苦しく焦れったい思いを抱えていたであろう時期でも、私は「それでも美勇人がいなくなることはないだろう」となんとなーーく思っていました。
しかしつい先日、ジャニではない他のジャンルのパフォーマンスを観ている最中にふと「あ、そうか。辞めてしまう彼らはアイドルではなくなるかもしれないんだ」と閃いてしまってからはちょっと焦りを覚え始めました。
「アイドルじゃなくなる」これは私にも打撃のある言葉です。
人によってアイドルの定義は違うと思いますが、少なくとも職業としてのアイドルを続ける可能性は低くなるよね、と。
そりゃよく考えなくてもジャニオタにとって自担がジャニーズじゃなくなるというのは一大事ですよね。特に「降りて」好きになった人はジャニーズであることに大変な意味があるはずです。
私も辞めてしまった元担たち──一般人に戻った人もいますし表舞台で活躍している人もいますが──を、事務所にいた頃と同じ情熱では追いかけられません(いや一般人をそんな情熱で追いかけてたらあれですけども…)。
今の私にも一応自担と呼んでいる人がいます。でも他のジャンルにも推しや贔屓がそれぞれいて、アイドルではないけれどその姿と生き様を愛しています。
所属や表現の場が違っても、人に惚れたら結局同じようにオタクになってしまいます。
でもやっぱり自担の「アイドルです!!!」ってプライドをめちゃくちゃに浴びて泣きたい気持ちはなくなりません。だからそれを考えると、自担がアイドルでなくなるって、すごく不安です。
私はそうだけど、自担が退所したあとの身の振り方は本当に人それぞれですよね
hinacoさんは「ジャニオタではなくなる」道をもうきっぱりと宣言しています。
美勇人担になってから退所までの月日、彼女がどんなスタンスで、どんな想いを寄せてきたか、美勇人に何を見てきたか、それが表れた選択だなあと思いました。
すべてを見てきたわけじゃない身で生意気に言いますけど「きっとその選択にたどり着いたよね」と私はすんなり納得できます。
最初に美勇人はジャニーズにいるのが自然だと思っていたと言ったけれど、じゃあジャニーズじゃない美勇人も美勇人のいないジャニーズも不自然かって言われると、意外とそうでもないかも…?
もしかしたらどこにいても美勇人は自然なのかもしれないね。
ジャニーズじゃない美勇人を見たことがないのでわからないけども…。
きっとそれはhinacoさんの望んだ「個で立てる」力で私たちを安心させてくれてる結果じゃないかなと思います。
次に見る姿がどんな姿かわからないけど、愛せる生き様であってほしいよね。
なんか最初はかしこまって書こうとしてたけどやっぱりだんだん調子乗って砕けてきちゃった!私の癖です!
思いついたことそのまま投げて投げっぱなしになってるし、お花渡しのブーケみたいには全然綺麗にまとまらなかったけど、よかったら受け取ってください。
人様の目に触れるものだから人前で言えることだけ書いたよ(笑)。
あとは、フェアウェル終わってから話そうか。
*1:一希ちゃんより小さかったよね!?と思って身長推移表を確認しました。役に立ちましたありがとう!
森田美勇人退所餞別 『超豪華!!最初で最後の大同窓会!ジャニオタ(元含む)はてなダイアラー祭り』 エピソード7(Rさん)
【企画の説明を未読のかたは、先にエピソード0をご覧ください。こちら→■】
本日はようこそ、森田美勇人退所餞別 はてなダイアラー祭りにお越しくださいました。
このエントリ寄稿者は、Rさんです。
彼女のSnowMan阿部くんに対するファンとしてのスタンスは、本当に献身的でいつもすごいなぁと感心しながら、Rさんと阿部くんひっくるめて見守っています。とても冷静で分析力にすぐれたひとなので、そういうひとに感情の熱が上乗せされるとこういうことになるんだな…!と若干の恐れも伴いつつ(笑)良い意味で驚かされることばかりです。美勇人に対する自分の思考を1伝えるだけで10理解してくれる彼女が友人としていつも隣にいてくれることに、わたしがどれだけ救われてきたかわかりません。
ダイアラーとしては彼女の元担さんの時代に出会っているのですが、最初にダを読んだ印象は「ここにも良い感じに頭のおかしい逸材がいた!」でした。ってことを、ここに書いたら怒られるような気がしなくもないですが、最初に褒めたので許してください。怒られついでに書きますが、初めて会った日のこともよく覚えていて、「こんな正統派美人が、あんなダイアリー書いてるって最高だな!」と思いました。今でも顔が好きよ^^
それではお待たせ致しました。Rさんのお言葉をお楽しみください。
この度は本当に、ありがとうございました。
* * * * *
初めまして、こんにちは。
SnowMan阿部くんのファンのRと申します。アクセスいただきありがとうございます。
hinacoさん主催のお祭りにご招待いただきまして、「数々の有名ブロガーさんの中に、果たして私が混ざって良いものか」と今も手汗が止まりませんが、森田くんに対して私自身が抱いた感情を言葉にして紡ぐことで、祭りの神輿の賑やかし程度にでもなれたらいいなと思っている次第です。
hinacoさんとのお付き合いは、年が明けたら丸10年。これ、打っていて正直自分でもびっくりします(笑)
同時に「私がhinacoさんを通して見てきた森田くんの記憶」も10年分あるはずですが、古いものであればあるほど、私よりも詳しい方がたくさんの素敵な文章を寄せていらっしゃると思いますので、今回は現役Jr.担であることを最大限に生かし、比較的最近の記憶にスポットを。
2018年 JOHNNY’S Happy New Year Island Act.2 Scene.6「夜空ノムコウ」
森田くんのダンスが上手であることは、たぶんみんなが知っていることで。ステージ上も、客席も、振付師さんも含めて、みんな。
長い手足、ぶれない体幹、手首のニュアンス、信じられないくらい曲がる関節。
広い会場で遠目にシルエットしか見えなくても、「なんか上手い人いるなあ」と思うと案の定森田くんじゃん、ということはよくあった。
なのでこの曲で、目に入ってきたのは偶然だったのか、もしくは必然だったのか。
視線が囚われて双眼鏡を持つ手が震える。
本能的に危ないと感じて思わず身構える。
この人を見ていたら、わけのわからない闇に引きずり込まれる、そんな予感に襲われて、心底ゾッとした。割と脳みそがグラグラっとしたし、なんなら軽い目眩までしたような気もする。
ハピアイの振付師さんは、今や各地で役員として名を連ねるようなすごい方々が集められていて、夜空ノムコウは前田清実先生が振り付けのコンテンポラリーダンスだった。(もうこの時点でわくわくする方が、兼ヲタの皆さんの中にはたくさんいらっしゃると思う)
ペアダンスやサビ、導線はある程度決まっていたように思うけれど、結構個人の裁量で自由にできる部分も多いような気がしていて、そのフリー部分に関して森田くんは圧倒的な異次元にいた。
表情だけでなく身体を包み込むオーラが、もはや人じゃない。
寂しいとか、つらいとか、虚無とか、そういうマイナスの感情が波みたいに何度も押し寄せてきては飲まれる、そんな感覚。
帝劇の二階でゾワゾワする寒気に襲われながら、ジャニーズの舞台を見るなんてそうそう経験するものではないから、一曲見終わってしばらくは、体力を消耗したのと緊張が解けたのでぐったりしてしまった。
「人間には肉体は一つしかなくて、経験できる人生も自分のものただ一つだけれど、舞台や映画を見ること、実際に演じること、インプットとアウトプットを繰り返して自分以外の誰かの人生を追体験することで、表現力は飛躍的に伸びる」と私は思っていて、当然にそれは年を重ねるごとに深みを増していくはずのものであって。
この時のことを思い返すと、どうしたって「また」とか「次」とか期待してしまうのは、外野と言えども許して欲しい…。(というか、これどうして映像に残っていないんですかね?)(大々的に撮ってましたよね?)
センスや才能に上積みされた表現力の武器を携えて、この先どうやって戦っていくのか非常に楽しみに思っているし、贅沢を言えばその先を見ていきたいし、応援もさせてほしい。
この選択で正しかったでしょ?と笑って前を見ていてほしい。
だからどうか、これから彼が進む未来には、心を込めて祝福を。
13年6ヶ月、おつかれさまでした。
またどこかでお会いできる日を楽しみにしています。
森田美勇人退所餞別 『超豪華!!最初で最後の大同窓会!ジャニオタ(元含む)はてなダイアラー祭り』 エピソード6(Tさん)
【企画の説明を未読のかたは、先にエピソード0をご覧ください。こちら→■】
本日はようこそ、森田美勇人退所餞別 はてなダイアラー祭りにお越しくださいました。
このエントリ寄稿者はTさんこと、たばささんです。
あの時代のジャニオタはてダといえば、たばささんとありよしさんみたいなところあるじゃないですか。強烈な個の確立という意味で。今でも普段から仲良くしてもらっているので今回もオファーしたわけですが、オファーしつつも「ふたりはあまりにも飛び道具すぎる…」という企画者として慄く気持ちがあったことは事実です(笑)実際、全員にメールをして最初に返信をくれたのがたばささんで、「熱いテキスト送りつけます!!」と返されたときの、「やばい…たばささんに火をつけてしまった…」というワクワクしつつ震える心境はご理解頂けると思います。
わたしがバック担としての心得、無所担としての姿勢を学んだのはたばささんからだといっても過言ではありません。「職人カタギ」は冊子にして教本にすべきはてダだと思うほどなのに、削除されてしまったときの全たばさファンのお気持ちを、本人はわかっているのでしょうか…。最近のたばささんが仰る「今の自分が(これから先の中で)一番若い!」が好きです(笑)本当にそのとおりだと思いますし、わたしも今の自分ができることをしっかりやっていきたい。だから、お邪魔にならないように常時は隅の方にいますので、これからも姐さんのまわりでうろちょろさせてください!
それではお待たせ致しました。たばささんのお言葉をお楽しみください。
この度は本当に、ありがとうございました。
* * * * *
波乱万丈だったJの2018年も終わろうとしています。
脱退休養謹慎解体退所解散引退書類送検不起訴に荒れ狂った1年(これ全部今年です)、「もはや自担が一番の勝ち組じゃね?」と冗談ながらも言ってしまいます。
もちろん冗談です。
ですが、荒れ狂った1年の中で仕事に恵まれて次の仕事も決まって1年を締めくくれるのは本当に恵まれた立場であると実感し感謝しています。(たとえ仕事が無くて見学芸人と化してようとも)
この状況になる以前からとにかく自担には「誰といようといまいととにかく自分の足でしっかり立ってやるべきことをやってください。」と念仏のように唱え続けてました。
自担はとにかくユニットに入れられることに恵まれなかったと思います。(いやそもそもユニットとかそういう以前に不遇の時代が長かっただけに逆によくぞここまで上がってきたなとは感心するのですが、いやむしろ何故残ってしまった残ることを選択してしまったうにゃうにゃと思うのですが、そのことは今は置いておきます。)
手が届きそうなところまで来てるのにいつもそこには結局いない、そんなことの繰り返しだった気もします。
自分としては別にユニットに入ってようがいまいがそんなことは本当にどうでもいい話なのですが、それでも同年代のJr.がどんどんユニットになっていく中でJr.活動を続けていくのはツラいものもあったとは思います。
みんなと一緒に頑張ること、それが何よりも大事である時期もあるでしょう。(最終的にラストの方は話があっても自分から断ったとは勝手に予測していますが)
誰かと一緒じゃなきゃヤダヤダとか、Jじゃなきゃヤダヤダとか(後者は諸般の事情上影響大きいところがあるのは分かりますが)そんな子どものようなことを言ってる場合じゃなく、いつ何時でも声がかかった時いの一番に「あ、できますよ。」と言って名乗りが挙げられる態勢にしておけるよう、いつでもスタートダッシュができるよう、そんな状況でいられる人であってほしいと常日頃から思っています。
ユニットとは?といつも思います。
ユニットじゃなきゃなんもできないのかよと思う反面、帰る場所、所属する場所があるということは楽だし頼もしいことでもあるし安心もできるし、個人の努力以上に一旦団子で周知が広まれば何よりもまとめて認知してもらえ、単純に考えれば1倍が○倍となります。
その反面何かが対立し始めたりお互い向く方向が変わって行けば、それをまとめていくのは死ぬほど大変ではあるし、よくも悪くも一蓮托生なのだなという存在です。
だからことあるごとに皆「守る」という言葉を使うのだとも思います。
私は40歳を超えてからのSMAPを見るのが本当にツラい時がありました。例の騒ぎになってからの話ではなくてまだそういうのが全然無い時からです。
「40を超えて肩を並べて顔を寄せてにっこり笑って写真を撮らなきゃいけないツラさ、朝一番からバンバンバカンスをあのテンションで歌って収録しないといけない現実、いくら仕事とは言えそんなツラい事を他に誰がやってるのだろう。」とずっと考えてました。SMAP5人揃った撮影では物音一つしないと言うのはよく聞いた有名な話でした。
同じ方向はいつまでも向いてられないと、大人になれば当たり前に感じることを押し出してそれぞれ別の道を歩いていくことを選んでいくこともあって当たり前なのでしょう。
栄華を極めた大スターやアイドルも年月が経ってもその地位を保ち続けることが本当に難しいことであるのは芸能界を見ていれば誰でもわかることです。
あのスターがこのスターが今でも本当に幸せですか、幸せに見えますかと聞かれた時どれだけの人がそれに頷けるのでしょうか。
確実に残されることは、そのスターに夢を見させてもらったという事実だけです。
楽しかった時間と記憶だけは確実に残ります。その思いを胸に生きていくしかありません。
昔ある女性アイドルがコンサートで「私、皆さんの人生に責任持てませんから、適当なところでちゃんと自分の人生進んでくださいね。」(かなりの意訳です)的なことを言ってましたが、もし仮に自担からそんなことを言われたとしたら、そのままそっくり返すというか、ヲタクはあなたの人生に責任持てませんから適当なところで人生の岐路を選択してくださいね、と返すと思います。
今状況がよくても明日にはどうなるかわかりません。
今悪くても明日にはどうなるかわかりません。
悪夢の2011年と今でも呼ぶのですが、当時の自担がドームでピンクのシャカシャカを着て踊ってるのを見た瞬間本当に「ああ、終わった」と思ったところからどん底の期間が始まり、片や毎日お昼の国民的番組に出演する元同朋を見る一方で、当時の自担は雑誌にも少クラにも出なくなり、それはそれは応援する方の力も落ちて行きかけました。
今思えばそんなことは何ら悩む必要は無かったのですが当時は必死でしたから。
そして月日は経ち一見、立場上、現時点、その立場は逆転したように見えます。
そして今まさかこういう形で元同朋を送り出す日が来ると誰が想像できたでしょうか。
ここで言いたいのは、決してここで終わりではないということです。
また何年後かにはどちらが笑ってるかなど誰も分かりません。
最終的に棺に足を突っ込むまで、誰が勝ったか負けたかなどということは誰にも分からないのです。
そもそも勝ち負けがあるかどうかすらもわかりません。
見るべきはずだった夢を見られなかったことは、掴むはずだった現実を掴めなかったことは、本人たちも応援してる者もいずれにも苦しいことであると思います。
「嵐とか愛せたらどんなに楽かもね。」と思うことすらあるでしょう。(いやチケットを取るのが楽ではないのは重々承知の上です)(そう言えばその昔某姐さんが明菜ちゃんの『禁区』の替え歌で「KAT-TUNとか愛せればいいのだけれど~それはちょっとできない相談ね~」と書いてて大笑いしたのですが、あれだけは今でも世界1位2位を争う名替え歌だと私は思ってます。最初の部分のユニ名が時代の流れに沿って変わって行き、今ならまた違うユニ名が入るのだろうなと想像します。)
話がそれました。
いつも思ってるのは、所詮行き着く先に大差は無いのだから今やれるべきことを自分の足で立ってしっかりやってくださいということです。それはたとえ嵐であってもです。
少し前であればJと言う鎧が無くなることは死すらも意味することだったかもしれません。
忖度にまみれた芸能界の中でJであるということは最大の鎧であり、揺らぐことのない額の刻印でした。今もその影響の大きさは変わりないかもしれません。
そもそも「J」の刻印がついてないと応援できないという人も多くいることでしょう。得体も知れないあやしい輩にマネジメントされて消えて行った辞めジュもたくさん見てきました。
だけど状況は確実に変わって行ってると思います。
最初は泥水をすする思いもするかもしれません。辞めジュの行く末はいつも見ないように見ないようにしてきましたが、時には一筋の光を見せてくれる子も現れ始めています。
デビューしてようといまいと、Jであろうとなかろうと、混迷を極めた2018年を見届けた者ならばそれが大した影響にはならないとことごとく実感させられてるはずです。
どんな世界に生きてたって、それが芸能界であろうとなかろうと目の前のできることをただただきちんとやっていく、それは我々一般人も同じことだと思います。
さて、前置きが長くなりました。
この度みゅーさんに贈る言葉をと依頼されて書き出しましたが、ほとんど自担への喝のような前置きそして総論になってしまいました。
書いてる途中から何回も依頼された主旨を読み返し総じて「みゅーさんへ贈る言葉」と解釈して書き出しましたがどう読んでも自担への喝にしか読めません。御了承ください。
みゅーさんを認識したのはいつだったかと思い返しますが、いつか思い出せないくらいです。
たぶんはっきりと視界に入ってきたのは08年PZだと思います。何故か、ほんと何故か現SnowManメンバーに混ざって小さな体(誇張じゃなく)で頑張ってたと思います。
その後09年春のもはや誰の何のコンサートすら忘れましたが(調べたらセブンコンでした)、横アリで入れなくなったお友達の代わりに急きょ颯爽と登場したのが今回依頼をしてこられたhinacoさんでした。
お友達がお友達に譲ったとかではなく正真正銘掲示板で譲るからの登場でしたので、どんな人が来るのかと尋ねて「風間の舞台観に行ってそのままくるみゅーと担」と言われたけど聞いた瞬間直感でhinacoさんが現れる気がしましたが本当にhinacoさんが現れたのでヲタクの世界は狭いなと思ったと同時にそこからが「ミラクルみゅーと担」の始まりでした。
そしてまだその時はみゅーさんのうちわも会場に数枚あるかないかだった時代でしたが、そこからよくぞここまでとまるで会場中のヲタクなぎ倒す勢いでファンを増やして行ったのは誰もが知るところだと思います。
私のみゅーさんの想い出はここがピークです。
みゅーさんのと言うよりhinacoさんとの想い出です。ミラクルみゅーと担の件が書ければ個人的には十分満足です。二人できゃっきゃきゃっきゃしながら観たコンサートは本当に楽しかったです。
が、ここで終わるわけにはいかないので続けます。
この時みゅーさん多分150センチあるかないかくらいだったと思うのですが、次みゅーさんをちゃんと認識した時は180センチを超える大男になっていました。
年代的にも仕事的にも自担と絡むことも多かったみゅーさんですが、いつだか「だからおまえはダメなんだよ」的なことを雑誌で言われ、読みながら少し悶々としておりました。(相変わらず記憶が曖昧なままですみません。読んでる皆様の方が詳しいかとは思います。)
それに対して怒るとか腹が立つとかではないのですが、みゅーさんも今だったらその言葉は自担には言わなかっただろうなとはふと思います。
それみたことかとかそういう話ではありません。
若いがゆえにその時その時でいろんな思いもあるでしょう。これが最初の前置きで述べたように、今状況がよくても明日はどうなるか分からないし今悪くても明日にはどっちに転がるかも分からないということに繋がる話なのかもしれません。
これと前後してみゅーさんに対してある認識があったのは、サマステの決勝がかかった公演でみゅーさんが精神的に参りすぎててフラフラだった時です。
ふてぶてしく生きてきたBBAは「うっそぉおおおおん」となったのですが、多感で繊細で若くして小さい時から酸いも甘いもたくさんのことを見て生きてくればそりゃ精神的に脆くもなる時もあったことでしょう。
その後は大人の事情か本人の意思かまでは私は知りませんが、血の滲む思いで決断したであろうユニットの選択。
大腕を振って希望に満ち溢れて爛々とした様相出て行ったAちあんと比べて(知らんけど)、悩みに悩みぬいてもう何もかも疲れ果ててどちらかを選ぶくらいなら自ら命を絶った方がいいくらいの様相で決断した(知らんけど)みゅーさんの結末がこれでは一体何が誰が報われるのかと。
あの時そっちじゃなくてこっちの選択をしておけばと思う人も少なくないでしょうが、でもそれ以上にユニットなんてどこだっていいからとにかくここにいてほしかったここで頑張る姿を見続けたかったと願ってる人も少なくないのではないかと勝手に想像しています。
そもそもみゅーさんがどこかに所属する必要なんてどこにも無かったのではなかろうかと。
最終的に隣に立つ人なんて誰だっていいんです、誰もいなくたっていいんです、あなたがそこにいてくれればと。
外野がよく知りもしないのにやいのやいのとすみません。
そして話は最初に戻ります、というか。
自担への喝で始まった内容でしたが、最終的には各々の自担へ届く内容であればと願っています。
くよくよしてる時間はありません。
一生は長いようで短いです。
とにかく鎧に頼らず自分の二本の足できちん踏ん張って立つ。
行き着く先に大差はありません。
私が言いたいことはそれだけです。
いつかまた素晴らしいステージで再開できると信じてます。
みゅーさんの未来に幸多かれなことを祈っています。
長々と失礼致しました。読んでくださってありがとうございました。
P.S.
これから先自分の身にどんなに苦しいことやツラいことがあっても、以前の深夜のガムシャラで『硝子の少年』を完璧に歌い切る直前に衣装の袖でマイクスタンドなぎ倒したみゅーさんのことを思い出すだけで乗り切れそうな気がするので、何かあった時はあのみゅーさんを思い出して頑張ります。
森田美勇人退所餞別 『超豪華!!最初で最後の大同窓会!ジャニオタ(元含む)はてなダイアラー祭り』 エピソード5(Yさん)
【企画の説明を未読のかたは、先にエピソード0をご覧ください。こちら→■】
本日はようこそ、森田美勇人退所餞別 はてなダイアラー祭りにお越しくださいました。
このエントリ寄稿者は、Yさんです。
自分の気持ちを伝えるために、必ずしもしっかりとした説明は必要ないことを実感させてくれるのがYさんです。わたしがどれだけ単語を並べて詳しく書いても、Yさんがはなった一言こそが、あーそれそれ!言いたいことはそれだわ!となることも多々あり、同じモノを観た後にYさんのはてダが更新されることを、とても楽しみにしていました。読まれることを目的とした文章ではなく、溢れて表にでてしまったYさんの感情をのぞき見させてもらっているような感覚。的確な感情は、まっすぐに伝わる。
Yさんとはエイト担として知り合ったはずなのに、気づいたら別ジャンルであの頃と同じように一喜一憂する濃い関係でいるのだから、未来ってどうなるかわからないよなぁと思います。というか観劇できなくなった友人の代わりに隣で初観劇をしてくれたYさんが、そのまま坂道転がり落ちるように加速して、ついにはご贔屓の退団経験まで終えてしまうのだから、本当に未来ってどうなるかわからないものなんだよ!(笑)わたしもすぐにあとを追うので待っていてください。Yさんがパイセンとしてそこにいてくれる現実に、感謝しかない2018年の終わりです。
それではお待たせ致しました。Yさんのお言葉をお楽しみください。
この度は本当に、ありがとうございました。
* * * * *
みゅーとに出会えたhinacoさんも幸せだったでしょうが、
hinacoさんに見つけてもらえたみゅーとも幸せだったと思います。
この13年を振り返ったら、hinacoさんを通した美勇人の思い出しかありませんでした。
頑張った森田くんに餞をと思うのに、美勇人を語るhinacoさんの喜怒哀楽しか。
あと青山から横アリへと駆けていく姿しか。
でもそれほどの思いを懸けて、自担を贔屓を熱く語ることが、命の使い道!
(最後のはてダ祭が楽しみです!)
アイドルもフェアリーも、それぞれの人生の選択を見つめた平成が幕を下ろそうしている。*1
今、願うのはその決断を受けとめた皆様の幸せだけです。
いや私は天使ではないので、だけとは言えませんが。
誰の姿がなくとも世界は簡単にまわるけれど、今知るより広く、想像の斜め上でまわるかもしれません。
人生終わるまですべて道の途中。
その道程ができるだけ朗らかでありますよう。
はてなダイアリーに感謝を込めて。