my story for you

Jr担としてのマニュアルがあるとしたら、なによりもまず「自担は、いついなくなるかわからないものです。だからもし、明日いなくなっても自分が後悔しないように応援しましょう。」と書かれると思うんですよね。

早々にこのテンションの内容を載せるのはいかがなものかって感じですが、まさに上記に関連することなので、『バック担のテーマソング』と題された自分のはてダ2010年のエントリーを貼りつけます。

 

先日のJUMPコン終わりに、Aさんとサマリーの予定を立てていました。

毎度の事ながら、様々な状況を仮定して苦悩する自分(中学生無所かつ使い勝手の良い神出鬼没担)。

するとAさんが爽やかな笑顔で「私にはもう必要ないから、あの替え歌はユーにあげるよ!」と言ってきました。

その笑顔が眩しい…。

 

私はAさん作替え歌が好きです。

その中でも三大傑作でありながら、間違いなく過去最高に酷い「あの替え歌」(内容以外にもタイミング的な部分あり)(2008年2月の滝つコンでお察しください)。

せっかく頂いたのでジャニオタ夏の陣へ向け、いつでも見れるよう自分のとこに貼らせてもらいます。

バック担ガンバレッツゴー!

 

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『即 振りこんで』

℃-uteの「即 抱きしめて」のメロディで歌って下さい。月部分は流動的。


ヲタクにだって都合があるわ 強引すぎるのジ・ム・ショ


行けないほど 盛り上がるから チケ取る意味を感じる


コンするメンツには かすかな希望がちらり


コンする日取りから ほのかな不安がゆらゆら漂うわ

 

8月なんて先のこと ちょっとわかんないけど


この場で即 振りこんで


嗚呼 いないよ いないわ


2008年Aさん作

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久しぶりに見たけど、本当にひどい替え歌だな(絶賛)。

とまぁ、Jr担として基礎中の基礎であるこの思考で美勇人担をしてきましたが、まさか「あと1か月で自担が退所します」という終わりがくるとは、さすがに思ってもみませんでした。

 

すごい、さすが平成の終盤…!

 

もちろん春以降はこの方向性も見越して過去ログ公開場所を作っていたので、退所をするということに関しては「そういう選択をしたのね、了解」と受け入れるまでです。

 

ただし、現実として状況を受け入れることと、感情を昇華させることって、当然ながら違うんですよね。

感情といっても「どうしてこんなことに!?」とか「辞めるの辞めて!」みたいなものはいっさいなくて、思い出とか感謝とか、センチメンタルなものと温かいものが交互に押し寄せて、じんわりと涙するのでした。

 

あぁ、美勇人は13年6か月よくがんばったなぁ。

 

そしてわたしも、13年3か月よくがんばったなぁ、とか(笑)

 

じんわりというか、だいぶボロボロ泣いたけど、流れてくる涙は全てあたたかい感情だったので、今のわたしがそういう自分でよかった。

 

前2回の新エントリーは老婆心故の更新だったので、最後はとくになにも考えず、溢れてくるものを書いてみます。

見切り発車の自分語りなので、御見苦しい点もあるかとは思いますが、お付き合い頂けるのならば嬉しいです。

 

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ツイッターでも書いたけど、人生は点ではなく線だから、本当の意味で「今」を語れるようになるのは、この先の「未来」においてだ。

これから先、今を振り返ったときに、このターニングポイントを笑って話せる未来にする!という、決意があるならば、それでいい。

そうであって欲しい。

そうなって欲しい。

 

ジャニーズから森田美勇人がいなくなるとわかったときに溢れてくる感情が、「今まで長い間、本当にありがとう」だという事実は、美勇人担としての終わりをむかえるにあたって、これ以上のものはないんじゃないかな。

数年タイミングがずれていたら、もやもやしたまま終わっていた可能性もあるのだから、今でよかった!と心から思える現在で本当によかった。

 

言ってしまえば、今さえも「どうなるかわからない未来」だったよ。あの時の未来である今がこういう状況だから、あの頃を口にできるんだよ。

出来事の大小にかかわらず、そういうことを13年間繰り返して、今の美勇人担としてのわたしができあがっている。

 

だから、もちろん楽しいことだけではなくて、山あり谷あり、泣いたことも不安になったことも、そして怒ったことも…割と怒ったことが多めにあるけれど(笑)、そういう感情すべてによって作り上げられた美勇人担人生だった。

 

さらにいえば、この13年の美勇人担人生は、運とタイミングとご縁で形成されていた。

美勇人本人と自分の性格(応援スタンス)の相性、自分の引きの強さ、そしてずっと見守り一緒に楽しみ、支えてくれる友人たちに出会えたご縁。

どれかひとつでもかみ合わなかったり、欠けていたら、きっとどこかで私自身も別の選択をしていたと思う。

 

 

最後だからわたしから見た「ジャニーズJr. 森田美勇人」を書いておきたいなとは思うのだけど、それってすごく難しくて、なにが難しいのだろうと考えると、どうしたって9歳からみていると、アイドルをこえて、人間関係みたいな視点になってしまう部分は正直ある。

 

ほら、お正月に年1で会う親戚から、小さいころの話を蒸し返されるようなことってあるじゃないですか。もう毎年その話はいいよ~やめてよ~みたいな。

そういう「もう今更言わなくていいよ」的な恥ずかしさが相手側にもあるだろうなとは思うけど(笑)、ここはわたしの集大成なので最後はすきなように書いています。

ずーっと見られてきた(こっちからしたら見守ってきた)終わりのまとめなので、ご了承頂きたい所存です(お空にむかって)。

 

この最後のエントリーを書くにあたり、自分のはてダを見返していたら、まさに18歳の誕生日エントリーがわかりやすい各年のまとめになっていたので、そのまま貼り付けます。

 

 しばし18歳記念の個人的思い出話にお付き合いください。みゅーとの思い出というよりは、完全な自分語りなので中身は無いです!まったく!


【9歳】

衝撃の出会いに興奮して家の階段を駆け下りる。全てはここから始まった。


【10歳】

「美勇人スペシャル」と呼んでいる少クラ放送回をひたすら見ていた。私はこの年の春からみゅーとが辰巳くんに似ていると主張しておりました@ひまメロ。夏に乳歯が抜けたことを祝っていたら、乳歯担呼ばわりされる。


【11歳】

この年の春から手の綺麗さと、みゅーと×ハットの素晴らしさを主張しておりました@エイトコン。今は自分が観ていなくても世の中誰かしらが観て発信してくれるようになったけれど、この時はジャニーズJrの大冒険07で途中からいなくなった後、いつから復活したかどれだけ検索しても判明せず。


【12歳】

「今でこれだけかっこいいのだから14歳が怖い!こんなかっこいい12歳が14歳になる日がこの先くるなんて怖い!絶対高校生になったら一般ウケするただのイケメンだよ!!!はぁ…どうしよう…かっこいい…」という主張と嘆きを繰り返した1年間だった。この時の主張は間違っていなかったと自分を褒めてあげたい。

お仕事の質と量共に今振り返ってもこの1年は特別で、この時期を一緒に駆け抜けることができたのは、とても幸せなことだなぁと実感している。


【13歳】

ハートのピンチを引きずったまま13歳に突入したら更に魅惑の恋に溺れて、好きすぎて泣いてるか穴を掘り進めていた。日々かっこよくなっていて、振り落とされないように頑張っていたら反抗期に突入したよ!


【14歳】

輝く14歳がやってきたのに反抗期…としょんぼりしたら数ヶ月で終わった。12歳の時にも「すごいな!」と感心する出来事があったけど、本当に賢い人だと思う。それでいて優しいからたまに心配もしてしまう。

自分の過去ログ読んでもかっこいいしか言ってないし、事実どのお仕事見てもかっこいいしかなくて、最強のU-15森田美勇人。何度目かの転機となるPZ2010出演は素晴らしく、私にとってもこの年はネクステだった。


【15歳】

「ようやく時代がわたしに追いついてきた!」と叫んだ15歳の誕生日。

12月に受験休みへ入り、4ヶ月と12日会えなくて存在の大きさを実感する。良い経験になった。PZ組にJR.Aという括りができ、私自身がユニというものを意識できるようになった時期。


【16歳】

何でも受け入れる気持ちではいたけれど、初めて髪型に悩まされた季節。自分を見つめ直すことを含め冬は休息し、ようやく春の兆しを感じてきたところでクリエの森田さんがかっこよすぎて頭パーン!ってなった\(^O^)/


【17歳】

ドラマや名前表記のクリエ等、新しいお仕事があって新鮮だった。滞らないというのはとてもありがたい。

個人的には前年に引き続き不穏な秋~年明けで、8年の中で一番落ち込んで一番悩んで、自分の無力さを思い知るばかりで煮詰まってそのまま消えるかもしれないと思ったけど、PZ楽にて私は間違っていなかったと実感させてくれたみゅーとくん天才。

 


好むモノに応えてくれて、求めるモノを叶えてくれて、本当に私は恵まれた出会いをしたなといつも感謝しています。

初期の頃に「果たして18歳の姿を見ることができるのか」という話題になるほど遠い未来だった18歳の誕生日を、こうして変わらず、それどころか順調に素敵な男性になっていっている美勇人を見続けられていて、本当に嬉しいです。

まだまだ一緒に走らせてください。これからもよろしくね。

 

 

美勇人を応援しているうえで前提としていたことがあって、それは「こども扱いをしない」こと。

いまはもう大人なので、こども時代にということだけど。

 

そこに至った理由はいろいろあるのだけど、いちばん根底にあるのが美勇人に対する自分の感情が最初から「かっこいい」なことと、早くに「かしこい」人であると分かっていたからかなと。

 

12歳のサマリーである行動がありまして、これ説明しようと一度書いてみたけど長すぎるから削除したので、まぁ「ファン対応」ということだけ書いておきますが、その行動を知った友人が「あの年齢でその行動がとれるって、大切なことがわかっているし、末恐ろしい」と言っていたのが印象深い。

 

 

だからこそ、「かしこい」と「やさしい」が強く存在する人に対して、わたしはあまりにも押しつけていなかったか?と、美勇人担の終わりをむかえるにあたって、自問自答する部分もあるのです。

 

もちろんわたしひとりの意見で、判断や選択をされるなんてことはありえないのだけど、ひとつのファンの意見として存在したときに、わたしは美勇人にとって良いファンだったのだろうかと。

 

そんな答えのでないことを、考えてしまったりもします。

 

 

ジャニオタの中ではずっと言われてきていることだけど、やはり額にJの刻印があるかないかは大きくて、「ジャニーズ独特の輝き」というものは確実にある。

 

美勇人の額からJの刻印がなくってしまうことは、良い悪いではなく、単純にさびしい。

 

そこは間違いなく、さびしい。

 

 

 

額にJの刻印がなくなったうえで、それでも表舞台に立つ人は、本人のブレない意志と、人間的魅力が必要だと個人的には思っている。

 

だから、デビューだユニットだという前に、常に個で立てる人であってほしかった。

どんな方向に舵をきっても、美勇人の未来が明るく照らされるように。

 

 

 

今の美勇人は、それらをしっかり備えた大人に成長してくれた。

 

数年前だったら「(不安すぎるから)辞めるの辞めて!」と思っていただろうけど、今の美勇人ならば大丈夫。

 

なんでもやってみなよと、13年間添えつづけた見えない手で、わたしもそっと背中を押そう。

 

13年間の経験は全て本人の糧となり、新しい場所での森田美勇人を輝かしてくれることでしょう。

 

わたしはそれを、楽しみに待っています。

 

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さて、長々と書いてきましたが、そろそろ幕をおろします。

 

12月31日で「ジャニーズJr. 森田美勇人」は卒業しますが、同時に、「ジャニオタ」「美勇人担」のわたしも卒業です。

 

これまでのジャニオタ人生、そして美勇人担人生で仲良くしてくださったかた、見守ってくださったかた。

みなさんがいてくれたから、楽しくて、面白くて、感動できるジャニオタ人生だったことは間違いありません。

 

「美勇人担のhinacoさん」に出会ってくださった全てのみなさまに感謝をこめまして、13年間ほんとうに、ありがとうございました!

 

2018年12月15日 hinaco