森田美勇人退所餞別 『超豪華!!最初で最後の大同窓会!ジャニオタ(元含む)はてなダイアラー祭り』 エピソード6(Tさん)

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本日はようこそ、森田美勇人退所餞別 はてなダイアラー祭りにお越しくださいました。

 

このエントリ寄稿者はTさんこと、たばささんです。

 

あの時代のジャニオタはてダといえば、たばささんとありよしさんみたいなところあるじゃないですか。強烈な個の確立という意味で。今でも普段から仲良くしてもらっているので今回もオファーしたわけですが、オファーしつつも「ふたりはあまりにも飛び道具すぎる…」という企画者として慄く気持ちがあったことは事実です(笑)実際、全員にメールをして最初に返信をくれたのがたばささんで、「熱いテキスト送りつけます!!」と返されたときの、「やばい…たばささんに火をつけてしまった…」というワクワクしつつ震える心境はご理解頂けると思います。

 

わたしがバック担としての心得、無所担としての姿勢を学んだのはたばささんからだといっても過言ではありません。「職人カタギ」は冊子にして教本にすべきはてダだと思うほどなのに、削除されてしまったときの全たばさファンのお気持ちを、本人はわかっているのでしょうか…。最近のたばささんが仰る「今の自分が(これから先の中で)一番若い!」が好きです(笑)本当にそのとおりだと思いますし、わたしも今の自分ができることをしっかりやっていきたい。だから、お邪魔にならないように常時は隅の方にいますので、これからも姐さんのまわりでうろちょろさせてください!

 

それではお待たせ致しました。たばささんのお言葉をお楽しみください。

この度は本当に、ありがとうございました。

 

* * * * *

 

波乱万丈だったJの2018年も終わろうとしています。

 

脱退休養謹慎解体退所解散引退書類送検不起訴に荒れ狂った1年(これ全部今年です)、「もはや自担が一番の勝ち組じゃね?」と冗談ながらも言ってしまいます。

もちろん冗談です。

ですが、荒れ狂った1年の中で仕事に恵まれて次の仕事も決まって1年を締めくくれるのは本当に恵まれた立場であると実感し感謝しています。(たとえ仕事が無くて見学芸人と化してようとも)

 

この状況になる以前からとにかく自担には「誰といようといまいととにかく自分の足でしっかり立ってやるべきことをやってください。」と念仏のように唱え続けてました。

自担はとにかくユニットに入れられることに恵まれなかったと思います。(いやそもそもユニットとかそういう以前に不遇の時代が長かっただけに逆によくぞここまで上がってきたなとは感心するのですが、いやむしろ何故残ってしまった残ることを選択してしまったうにゃうにゃと思うのですが、そのことは今は置いておきます。)

手が届きそうなところまで来てるのにいつもそこには結局いない、そんなことの繰り返しだった気もします。

 

自分としては別にユニットに入ってようがいまいがそんなことは本当にどうでもいい話なのですが、それでも同年代のJr.がどんどんユニットになっていく中でJr.活動を続けていくのはツラいものもあったとは思います。

みんなと一緒に頑張ること、それが何よりも大事である時期もあるでしょう。(最終的にラストの方は話があっても自分から断ったとは勝手に予測していますが)

誰かと一緒じゃなきゃヤダヤダとか、Jじゃなきゃヤダヤダとか(後者は諸般の事情上影響大きいところがあるのは分かりますが)そんな子どものようなことを言ってる場合じゃなく、いつ何時でも声がかかった時いの一番に「あ、できますよ。」と言って名乗りが挙げられる態勢にしておけるよう、いつでもスタートダッシュができるよう、そんな状況でいられる人であってほしいと常日頃から思っています。

 

ユニットとは?といつも思います。

ユニットじゃなきゃなんもできないのかよと思う反面、帰る場所、所属する場所があるということは楽だし頼もしいことでもあるし安心もできるし、個人の努力以上に一旦団子で周知が広まれば何よりもまとめて認知してもらえ、単純に考えれば1倍が○倍となります。

その反面何かが対立し始めたりお互い向く方向が変わって行けば、それをまとめていくのは死ぬほど大変ではあるし、よくも悪くも一蓮托生なのだなという存在です。

だからことあるごとに皆「守る」という言葉を使うのだとも思います。

 

私は40歳を超えてからのSMAPを見るのが本当にツラい時がありました。例の騒ぎになってからの話ではなくてまだそういうのが全然無い時からです。

「40を超えて肩を並べて顔を寄せてにっこり笑って写真を撮らなきゃいけないツラさ、朝一番からバンバンバカンスをあのテンションで歌って収録しないといけない現実、いくら仕事とは言えそんなツラい事を他に誰がやってるのだろう。」とずっと考えてました。SMAP5人揃った撮影では物音一つしないと言うのはよく聞いた有名な話でした。

同じ方向はいつまでも向いてられないと、大人になれば当たり前に感じることを押し出してそれぞれ別の道を歩いていくことを選んでいくこともあって当たり前なのでしょう。

 

栄華を極めた大スターやアイドルも年月が経ってもその地位を保ち続けることが本当に難しいことであるのは芸能界を見ていれば誰でもわかることです。

あのスターがこのスターが今でも本当に幸せですか、幸せに見えますかと聞かれた時どれだけの人がそれに頷けるのでしょうか。

確実に残されることは、そのスターに夢を見させてもらったという事実だけです。

楽しかった時間と記憶だけは確実に残ります。その思いを胸に生きていくしかありません。

昔ある女性アイドルがコンサートで「私、皆さんの人生に責任持てませんから、適当なところでちゃんと自分の人生進んでくださいね。」(かなりの意訳です)的なことを言ってましたが、もし仮に自担からそんなことを言われたとしたら、そのままそっくり返すというか、ヲタクはあなたの人生に責任持てませんから適当なところで人生の岐路を選択してくださいね、と返すと思います。

 

今状況がよくても明日にはどうなるかわかりません。

今悪くても明日にはどうなるかわかりません。

 

悪夢の2011年と今でも呼ぶのですが、当時の自担がドームでピンクのシャカシャカを着て踊ってるのを見た瞬間本当に「ああ、終わった」と思ったところからどん底の期間が始まり、片や毎日お昼の国民的番組に出演する元同朋を見る一方で、当時の自担は雑誌にも少クラにも出なくなり、それはそれは応援する方の力も落ちて行きかけました。

今思えばそんなことは何ら悩む必要は無かったのですが当時は必死でしたから。

そして月日は経ち一見、立場上、現時点、その立場は逆転したように見えます。

そして今まさかこういう形で元同朋を送り出す日が来ると誰が想像できたでしょうか。

 

ここで言いたいのは、決してここで終わりではないということです。

また何年後かにはどちらが笑ってるかなど誰も分かりません。

最終的に棺に足を突っ込むまで、誰が勝ったか負けたかなどということは誰にも分からないのです。

そもそも勝ち負けがあるかどうかすらもわかりません。

 

見るべきはずだった夢を見られなかったことは、掴むはずだった現実を掴めなかったことは、本人たちも応援してる者もいずれにも苦しいことであると思います。

「嵐とか愛せたらどんなに楽かもね。」と思うことすらあるでしょう。(いやチケットを取るのが楽ではないのは重々承知の上です)(そう言えばその昔某姐さんが明菜ちゃんの『禁区』の替え歌で「KAT-TUNとか愛せればいいのだけれど~それはちょっとできない相談ね~」と書いてて大笑いしたのですが、あれだけは今でも世界1位2位を争う名替え歌だと私は思ってます。最初の部分のユニ名が時代の流れに沿って変わって行き、今ならまた違うユニ名が入るのだろうなと想像します。)

 

話がそれました。

 

いつも思ってるのは、所詮行き着く先に大差は無いのだから今やれるべきことを自分の足で立ってしっかりやってくださいということです。それはたとえ嵐であってもです。

少し前であればJと言う鎧が無くなることは死すらも意味することだったかもしれません。

忖度にまみれた芸能界の中でJであるということは最大の鎧であり、揺らぐことのない額の刻印でした。今もその影響の大きさは変わりないかもしれません。

そもそも「J」の刻印がついてないと応援できないという人も多くいることでしょう。得体も知れないあやしい輩にマネジメントされて消えて行った辞めジュもたくさん見てきました。

 

だけど状況は確実に変わって行ってると思います。

最初は泥水をすする思いもするかもしれません。辞めジュの行く末はいつも見ないように見ないようにしてきましたが、時には一筋の光を見せてくれる子も現れ始めています。

デビューしてようといまいと、Jであろうとなかろうと、混迷を極めた2018年を見届けた者ならばそれが大した影響にはならないとことごとく実感させられてるはずです。

どんな世界に生きてたって、それが芸能界であろうとなかろうと目の前のできることをただただきちんとやっていく、それは我々一般人も同じことだと思います。

 

さて、前置きが長くなりました。

 

この度みゅーさんに贈る言葉をと依頼されて書き出しましたが、ほとんど自担への喝のような前置きそして総論になってしまいました。

書いてる途中から何回も依頼された主旨を読み返し総じて「みゅーさんへ贈る言葉」と解釈して書き出しましたがどう読んでも自担への喝にしか読めません。御了承ください。

 

みゅーさんを認識したのはいつだったかと思い返しますが、いつか思い出せないくらいです。

たぶんはっきりと視界に入ってきたのは08年PZだと思います。何故か、ほんと何故か現SnowManメンバーに混ざって小さな体(誇張じゃなく)で頑張ってたと思います。

 

その後09年春のもはや誰の何のコンサートすら忘れましたが(調べたらセブンコンでした)、横アリで入れなくなったお友達の代わりに急きょ颯爽と登場したのが今回依頼をしてこられたhinacoさんでした。

お友達がお友達に譲ったとかではなく正真正銘掲示板で譲るからの登場でしたので、どんな人が来るのかと尋ねて「風間の舞台観に行ってそのままくるみゅーと担」と言われたけど聞いた瞬間直感でhinacoさんが現れる気がしましたが本当にhinacoさんが現れたのでヲタクの世界は狭いなと思ったと同時にそこからが「ミラクルみゅーと担」の始まりでした。

そしてまだその時はみゅーさんのうちわも会場に数枚あるかないかだった時代でしたが、そこからよくぞここまでとまるで会場中のヲタクなぎ倒す勢いでファンを増やして行ったのは誰もが知るところだと思います。

 

私のみゅーさんの想い出はここがピークです。

みゅーさんのと言うよりhinacoさんとの想い出です。ミラクルみゅーと担の件が書ければ個人的には十分満足です。二人できゃっきゃきゃっきゃしながら観たコンサートは本当に楽しかったです。

 

が、ここで終わるわけにはいかないので続けます。

 

この時みゅーさん多分150センチあるかないかくらいだったと思うのですが、次みゅーさんをちゃんと認識した時は180センチを超える大男になっていました。

年代的にも仕事的にも自担と絡むことも多かったみゅーさんですが、いつだか「だからおまえはダメなんだよ」的なことを雑誌で言われ、読みながら少し悶々としておりました。(相変わらず記憶が曖昧なままですみません。読んでる皆様の方が詳しいかとは思います。)

それに対して怒るとか腹が立つとかではないのですが、みゅーさんも今だったらその言葉は自担には言わなかっただろうなとはふと思います。

それみたことかとかそういう話ではありません。

若いがゆえにその時その時でいろんな思いもあるでしょう。これが最初の前置きで述べたように、今状況がよくても明日はどうなるか分からないし今悪くても明日にはどっちに転がるかも分からないということに繋がる話なのかもしれません。

 

これと前後してみゅーさんに対してある認識があったのは、サマステの決勝がかかった公演でみゅーさんが精神的に参りすぎててフラフラだった時です。

ふてぶてしく生きてきたBBAは「うっそぉおおおおん」となったのですが、多感で繊細で若くして小さい時から酸いも甘いもたくさんのことを見て生きてくればそりゃ精神的に脆くもなる時もあったことでしょう。

 

その後は大人の事情か本人の意思かまでは私は知りませんが、血の滲む思いで決断したであろうユニットの選択。

大腕を振って希望に満ち溢れて爛々とした様相出て行ったAちあんと比べて(知らんけど)、悩みに悩みぬいてもう何もかも疲れ果ててどちらかを選ぶくらいなら自ら命を絶った方がいいくらいの様相で決断した(知らんけど)みゅーさんの結末がこれでは一体何が誰が報われるのかと。

あの時そっちじゃなくてこっちの選択をしておけばと思う人も少なくないでしょうが、でもそれ以上にユニットなんてどこだっていいからとにかくここにいてほしかったここで頑張る姿を見続けたかったと願ってる人も少なくないのではないかと勝手に想像しています。

 

そもそもみゅーさんがどこかに所属する必要なんてどこにも無かったのではなかろうかと。

 

最終的に隣に立つ人なんて誰だっていいんです、誰もいなくたっていいんです、あなたがそこにいてくれればと。

外野がよく知りもしないのにやいのやいのとすみません。

 

そして話は最初に戻ります、というか。

自担への喝で始まった内容でしたが、最終的には各々の自担へ届く内容であればと願っています。

 

くよくよしてる時間はありません。

一生は長いようで短いです。

とにかく鎧に頼らず自分の二本の足できちん踏ん張って立つ。

行き着く先に大差はありません。

私が言いたいことはそれだけです。

 

 

いつかまた素晴らしいステージで再開できると信じてます。

 

みゅーさんの未来に幸多かれなことを祈っています。

 

 

長々と失礼致しました。読んでくださってありがとうございました。

 

 

 

 

P.S.

これから先自分の身にどんなに苦しいことやツラいことがあっても、以前の深夜のガムシャラで『硝子の少年』を完璧に歌い切る直前に衣装の袖でマイクスタンドなぎ倒したみゅーさんのことを思い出すだけで乗り切れそうな気がするので、何かあった時はあのみゅーさんを思い出して頑張ります。