森田美勇人退所餞別 『超豪華!!最初で最後の大同窓会!ジャニオタ(元含む)はてなダイアラー祭り』 エピソード9(Aさん)

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本日はようこそ、森田美勇人退所餞別 はてなダイアラー祭りにお越しくださいました。

 

このエントリ寄稿者はAさんこと、ありよしさんです。

 

ありよしさんも鉄の人と同じく、いちばん古い友人のひとりです。わたしの唯一の自慢は、Too shyなありよしさんがオタク人生で唯一(実際にはもうひとりの友達とあわせて)自分から声をかけてくれた相手だということです(笑)ありよしさんだけは文章から全く本人像を想像できないままにお会いしたら、ほんわかした可愛らしいおねーさんで本当に人は外見だけではわからないな!と思ったものです。しかし約14~15年前(こわい…)に会ったわたしの時でさえそういうギャップが大きい人だったのに、年々パワーアップし、「本当に存在したんですね」と言われる愚民として完成する非実在ありよしさんなのでした。

 

ありよしさんといえば、頭がよすぎておかしい人の代名詞みたいなところありますが、本当に何度真剣に「その頭脳をもっと国のためとかに使った方がいいのではないか」と言ったかわかりません。でも、彼女にありよしさんとして出会えなかったら、わたしのオタク人生はもっと鬱々としたものとなっていたことは間違いありません。ありよしさんでいてくれてありがとう!最近はお互い落ち着いた大人になりましたが、これからも共鳴して生きていこうね。

 

それではお待たせ致しました。ありよしさんのお言葉をお楽しみください。

この度は本当に、ありがとうございました。

 

* * * * *

 

2005年5月、私の中で世界一かっこいい男は12歳の山田涼介でした。


滝つコンの無所バックとして山田くんがガシガシ夢物語を踊る姿に一目ぼれし、そこから山田様信者になっていきました。


ちょうどその年の6月にみゅうとが入所し、hinacoさんも世界一かっこいい9歳のみゅうとに出会うことになります。

 


2009年3月、Hey!Say!7コンで私は知念様の愚民になりました。

同じコンサートで、hinacoさんはみゅうとを求めて青山劇場から横浜アリーナへはしごをしていました。

そのせいか私が知念様に転げ落ちた時のことを思い出すと、宮益坂を駆け下りていくhinacoさんのことも思い出します。

 

 

本当にhinacoさんとは色んな現場に一緒に行って、何度も一緒にハートのピンチ(ショタ時代の錦戸さんの名曲「Secret Agent Man」より)に陥りました。

つい昨日のことのように思い出せるのに、そんなみゅうとがもう23歳の青年で、自身の意思で退所をするというのだから、時の経つのは本当に早いなぁと思います。

 

 


今年は色んなことがありました。

タッキーが引退を表明し、翼くんとすばるさんが事務所を去り、Love-tuneもいなくなってしまう。事務所の力が弱まっているのかとか、ジャニーズのままではできないことがあったのかとか思う反面、それでも彼らにとって「ジャニーズ」として生きてきた期間はかけがえのない時間であったはずです。

自我が固まりきらない年頃からただひたすら仲間たちと駆け抜けてきた時代は彼らにとって真の青春時代でしょう。そして、そんな時代を勝手に見守り続けていたおたくにとっても、そんな時間が青春となっているのです。


そしてそんな青春のほとばしりをすべて詰め込んでいたはてダまでなくなってしまうなんて、2018年の漢字は私にとっては「失」です……。

 


 

私がジャニヲタ時代を思い返して、一番青春だったなぁと思い返すのがエイトファン時代と山田様信者時代です。

2004~2007年頃、エイトのことはもちろん、東西チビジュも大好きでした。

Ya-Ya-yahを頂点とし、台頭するJ.J.Express、エビ、キスマイ、関ジュ、ジュニボ、エビジュ、無所だってみんなみんな大好きでした。

 

自身が若かったこともあり、今よりももっと切実に彼らのことを応援し、時には悩み、時には怒り、時には泣きながら、いつだって全身全霊で萌えていました。そしてその溢れだすパッションをはてなダイアリーにぶつけてました。

 


hinacoさんと初めて会ったのはそんなやばすぎるエイトファン時代でしたが、私たちの思いがより共鳴し始めたのは私が山田様を好きになり、hinacoさんがみゅうとを好きになってからです。

 

私がジャニヲタになったきっかけは金八の風間さんで、その後に好きになったのはエイトのやっさんでしたが、その一方で少年らしい無邪気さを振りまいている戸塚さんにも夢中でした。

柔らかな丸みのある薔薇色の頬、まだ固まりきっていないしなやかな肢体と、それに見合わないがむしゃらなダンス。精神的にも肉体的にも成熟しきっていない戸塚さんの瑞々しい無自覚な色気は私の中にほとんどなかった美に対する芸術的な感性を芽生えさせてくれました。

オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』に登場するドリアン・グレイや、ドストエフスキーの『罪と罰』のラスコーリニコフや果ては『悪霊』のスタヴローギンなど悪魔的かつ病的な魅力を持つ美青年はすべて17歳の戸塚さんで再現するようになり、戸塚さんが18歳になる時は失われていく少年性とイノセンスを思い、酒を飲みながら泣いていました。

そんな私の思いを一番理解してくれたのは今も昔もhinacoさんだけです。

 


 

戸塚さんに少年の魅力を学んだ私は、12歳の山田様に恋をしました。


流石に小学6年生にはまることに多少のとまどいはあった気がするのですが、hinacoさんは「男の子が世界一かっこいいのは小学生だから無問題!」と軽率に後押しをしてくれました。

山田様が中学生になる頃には私はhinacoさんと「男はランドセルを下ろしたら大人!アルトリコーダー吹いてるし、もう算数じゃなくて数学を学んでるから!」と言い合うようになり、小中学生に夢中になることをすっかり肯定できるようになりました(その会話を聞いていた周りの人は多少何か言っていた気がしなくもありませんが)。

hinacoさんと出会っていなければ、ここまで突き抜けた思想は持っていなかったことでしょう。

そして後に訪れる知念様の熱狂的愚民時代もあそこまでひどくなることはなかったでしょう。

 


一度ためらいがなくなれば、小中学生の未分化な魅力は素晴らしく、日本人があれほど短い間しか咲かない桜を愛でる気持ちが心から理解できるようになりました。

思春期真っ只中の不安定さもある高校生も素晴らしいのですが、小中学生はまだあまり精神的な揺らぎがない分まっすぐで、自分自身の魅力にも無自覚な分清らかで、週刊誌に攻撃されることもありません。

そこは本当に桜の時期のように短い間だけいることができる桃源郷です。

滝沢演舞城で中学生の山田様のへそチラを間近で見た時は、そのおへその可愛らしさとおへそが見えてもがむしゃらに踊り続ける無邪気さと清らかさに感動して泣きました。

そんな時もドン引きする他のおたくの中でhinacoさんだけは肯定してくれていたような気がします(たぶん)。

 


知念様の愚民になった時も、一番話を聞いてくれたのはhinacoさんでした。

福岡に一人で遠征して間近で知念様のわき(無毛地帯)を見て、そのハロプロ女子アイドル級の美しさに感激し、その思いを我慢しきれずにhinacoさんに電話したのも良い思い出です。

私がこんな風になってしまったのは、私の思いを軽率に後押しし、受け入れてくれたhinacoさんのせいで、おかげで本当に楽しいジャニヲタ生活を送ることができました(その分、失ったものもある気がしますが)。

 

 


私は遥かな高みにいる対象をひたすら賛美し崇め奉るタイプのおたくですが、hinacoさんは少し違います。


基本的にはみゅうとのダンスやかっこよさは全肯定なのですが、その一方でタイガーマスクのように腕組みして冷静に観察し、みゅうとに改善すべき点があれば容赦なくダメ出しもしているイメージがあります。

 

私にとってhinacoさんはみゅうとのプロデューサーです。


みゅうとのその時の仕事やみゅうと自身の特性から、その先のみゅうとの展望をよく語っていて、割とその通りにみゅうと自身が歩んできたような気がします。

そんなみゅうとは私にとっては親戚の子のようなポジションで、たまたま私が行ってhinacoさんが行っていないコンサートにみゅうとが出ていると、「今日はhinacoさんがいないから私がみゅうとを見ないと!!」と勝手な使命感に燃えたりもしていました。

 


hinacoさんも私も元々素養があったのかもしれませんが、こんなにも少年が素晴らしいことに気づいたのはあまりにも12歳の山田様と9歳のみゅうとがかっこよかったからだろうし、そのことを全力で肯定してくれるhinacoさんがそばにいたおかげで、私も新しい扉をガンガン開いてしまいました。


彼らのことを子供としてではなく、一人前のジャニーズの人間として真剣に向き合い、全力で萌えていました。


彼らの成長を喜びつつも、惜しみ悲しむ気持ちを分かってくれたのもhinacoさんで、彼らの青春時代を一方的に見つめながら、私も自分の青春時代をhinacoさんと過ごしたような気がします。

 

 


少年はいつか成長し大人になります。

今回みゅうとが事務所を旅立つのは、本当に象徴的な出来事で、私も感慨深い気持ちになりました。

あんなに小さかったみゅうとが大人として自分の道を歩き出そうとしているのです。

 



いなくなってしまうことは悲しいし、寂しい。


でも、『愛・革命』でタッキーが言っていた通り、悲しい夢も涙も捨てないで、そっと青春の小箱に詰めておけば、きっといつか彼らにとってもおたくにとっても美しい思い出としてよみがえることでしょう。


現にカウコンで4TOPS復活なんて、本当に青春の小箱全開過ぎることがここに来て起きるのですから。

 


だから最後に言いたい。

 

 

 



 

タッキー、また革命やって!!!!

 

 



 

そして、みゅうと始め、ジャニーズを駆け抜けていった全ての方々(おたく含む)の未来に幸多からんことを祈っています。