A QUOI TU DANSES
Love-tuneの状況が目に見える形で動きました。
5月のブログ記事を書いたとき、当然こういう状態も未来の可能性のひとつとして存在しているなという意識はありましたので、個人的には、新しい局面はこんな感じなのね、と受け入れるのみです。
ただし、ツイッターではどうしても文字制限のぶつ切りになってしまうので、きちんと自分の考えを残しておきたいと思い、今回の記事を更新します。
美勇人くん個人に対しては、わたしは昔からデビューが全てだという意識ではないし、それよりも個でしっかりと立て、考え、輝ける人であることが大切だと思っています。
それはわたしが勝手に望んでいることではあるけれど、望むことに繋がるような努力が本人からきちんと発信されている以上、特に言うことはありません。
新しく置かれた環境や状況でも、やれることをしっかりやってくれると信じているし、見ることができる表舞台にいてくれるならばそれを応援するのみです。
もちろんこれはわたし個人のスタンスであって、他人に求める気持ちは一切ありません。状況の変化に戸惑う人、求めているものではない人もいて然りだと思います。
ただもうほんとにおせっかい極まりない、老婆心再びで言わせてもらうなら、森田美勇人を応援するなら思考の自立をしないと、なかなか自分がきつくなることも多いと思います、とだけは伝えたいことかもしれません。
話をLove-tuneへ戻します。
そんなこんなで美勇人くんの個が重要なわたしですが、それは「美勇人くん以外はどうでもいい」ということではありません。
っていうか、そんなわけあるかい!何年Jr.見てきてると思ってるんだ!
その中でも、とくに萩谷くんに関しては両手あわせて「萩ちゃんの未来が笑顔でありますように」と願うくらいには想いを馳せてるし、その内容でひと記事書けるわ!くらいの勢いはあります。
だけどそんなことはわたしが言うまでもなく、腹をくくって応援してきたそれぞれのファンの方々がより強い想いで紡がれることと思います。
わたしが「美勇人くんの個が重要」というのは、物理的なことはもちろんのこと、「自分が行動を決めて、自分に湧いた感情に、自分で責任を持てる対象は美勇人くんだけ」という指針でもあります。
この状況に対し、「Love-tuneが好きだからできることをする」という行動はファンとして間違ったことではありません。自分が好きなモノを大切にしたいから自分で動くという思考は、今回のことに限らず重要なことです。
だけど、そのときに気をつけなければいけないのは、あくまで主語は自分だということです。
「自分がLove-tuneを好きだから」「自分があの7人がいいから」「自分が自担を応援したいから」
その気持ちから発生した行動は、「自分のため」です。
自分のために頑張ったことは、どういう結果になっても後悔はしません。
しかし、主語が入れかわってしまうとどうなるでしょうか。
「自分のため」が「Love-tuneのため」に代わってしまうと、本来は温かい素敵な気持ちだったものが、結果によっては他人も自分も傷つけるナイフになってしまうのです。
望む結果にならなかったとき、「これだけの時間をかけたのに」「これだけのお金をかけたのに」「これだけの労力をかけたのに」報われなかったという感情が、わたしは苦手な言葉なのですが、所謂「裏切られた」と言ってしまう感情をうみだしてしまうのだと思います。
時間もお金も労力も、なにをどれだけ使うかの選択は自分の自由です。
「これは自分が後悔しないために必要なんだ」と意思を持てることならば、全力で立ち向かっていいと思います。
だけど、どうか主語だけは間違えないでほしい。
傷つかなくていい人が無駄に傷つくことがありませんように。
というのが、5月から引き続いた老婆心でした。
いや、ほんと口うるさいですよね、とは自分でも思うのですが。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございました。
hinaco