森田美勇人退所餞別 『超豪華!!最初で最後の大同窓会!ジャニオタ(元含む)はてなダイアラー祭り』 エピソード3(Mさん)
【企画の説明を未読のかたは、先にエピソード0をご覧ください。こちら→■】
本日はようこそ、森田美勇人退所餞別 はてなダイアラー祭りにお越しくださいました。
このエントリ寄稿者は、Mさんです。
一番古い友人のひとりで、あんなことこんなこと、本当に常にそばで見守ってくれていたし、支えてくれています。でも最初のはてダの印象は、「こわい」です(笑)あの文章から滲み出る「おれは他人に興味がねーんだよ!」的な威圧感。KO・WA・I!でも実際仲良くなってみたら、とーーーーっても面倒見が良くて優しい人でした。初めて直接会ったのは、エイトのサマスペ前夜祭のときで、初大阪遠征で迷子になっていた方向音痴のわたしに電話をしてきて「いまどこ?」「〇〇が見えるけどよくわかr「迎えに行くからそこから動かないで」とだけ言って電話が切れた思い出です。やっぱりKO・WA・I!
そなこんなで恐さと強さと知識(道に迷うと時間と太陽の位置で方向を特定します)を兼ね備えた鉄の人ですが、本当になんでもできる(お菓子作りもプロ級で絶対音感もあるよ)のに、自分の感情には疎いところがあって、興味深いなぁと思っています。自担に対しても、ご贔屓に対しても、場合によっては周りのほうがそうだと承知しているようなことを突如実感して泣いたりします。だから、この先どんなことが鉄におきても、寄り添うことができる人でわたしはありたい。
それではお待たせ致しました。Mさんのお言葉をお楽しみください。
この度は本当に、ありがとうございました。
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ジャニヲタの皆様にはお久しぶりでございます、鉄です。
名前は別にあったはずですが、いつの間にか「鉄の人」という呼び名が定着してしまったようなので、ここではそう名乗ります。
本題に入る前に少し私自身の話をさせていただきます。
現在の私は宝塚歌劇団をこよなく愛する、所謂「ヅカヲタ」です。
ジャニでの担当さんは今も在籍していらっしゃるので、細々と現場に足を運んではいますが「ジャニヲタです」と名乗れるほどではありませんし、何より思考回路が今ではすっかりヅカヲタです。
ヅカヲタの特性としては「生徒さん(タレント)に対して過剰な敬語を使ってしまう」
「物事をすぐにヅカ特有の事象に置き換える」の2点を踏まえて、この先読んでいただければと思います。
私の現在のご贔屓(ヅカにおける担当)は在団10年を超える、ベテランの域に足を踏み入れた現役の生徒さんです。
そして先述の通り、担当さんは現役も現役の泣く子も黙るアラサーJr.です。
その前の担当さんもその更に前の担当さんも現役のジャニーズタレントです。
そうなんです、私はそこそこに長く(約20年)ヲタクをしているというのに、「担当という存在の喪失」の経験がないのです。
そんな経験値の浅いぺーぺーのひよっこヲタクなので、今回の件は正直なところ何と言っていいのやら分かりません。
ヅカというジャンルの良い点の一つとして「タレントの卒業を見送ることができる」ことがあります。
ある1人の生徒さんを応援しているとすると、年間3つから4つの興行を追いかけることになるのですが、毎回必ず行われる公演の顔合わせ(集合日という)の際に「今回の公演の千秋楽で卒業します」と発表があり、稽古から公演期間合わせておよそ4ヶ月(公演期間によってもっと短い場合もあります)かけて「最後の日」に向けて共に走り抜くことができるのです。
もちろん、それには例外もあります。
その顔合わせのその日に「今日で辞めました」と発表されるのです。
これは辛い。
しかしこのケースは比較的在団期間の短い下級生、言わばフレッシュJr.(この言葉が今や死語じゃないのかどうかも分からない)に見られる個人的な事情を抱えるケースであって、在団10年を超えるような上級生には当てはまりません。
今回の発表日付で退所とされた彼らのケースは、この当てはまらないはずの「上級生の突然の集合日付退団」と言えます。
しかもスター級の生徒さんの。
いやいやいや、ありえんだろ(真顔)。
例えば研15(在団15年め)のスターさんが集合日付退団とか、ないですよ。
もしあるとしたら、重い病気になった、とかそういう不幸なことしか考えられない。
万が一にも不祥事だったとしたら、おそらく自主退団ではなくタレント契約解除になるでしょうから、そこら辺はジャニと同じですね。
まぁそもそもユニット全員が一斉退所という時点で、本人達の個人的な事情であるわけがないんだけどさ。
私はいい大人で、もちろん彼らより相当に大人で、そんな私はヅカヲタであったりジャニ(Jr.)ヲタであったりすることは彼女ら彼らの一番美しく輝く時間を商品として買っているのだ、という罪悪感に似たようなものを常に持っています。
もちろんJr.という存在が同年代だった時代にそんなことは思っていませんでした。
しかし今はもう、10代20代の若者が集まって何かを成し遂げようと努力をしている姿を見るだけでおばちゃんはすぐに泣けるし、それにお金を払える価値があると思っています。
そして同時に、その美しく輝かしい期間の後に進む世界を、その時のうちに見つけて欲しいと願ってもいます。
皆が皆、それを見つけられる訳ではないけれども、こうやってその貴重な時を大人がぶったぎるような真似をしてしまったことは、一人の大人として、そして消費者として申し訳なく思います。
私が彼らに今言えることは、それだけ。
最後に森田くんへ。
森田くんはジャニーズに入ってご自分の才能に出会えた一握りの人で、そしてその才能が必ず外の世界でも通用するものであることを自信に思って、次の道へ進んでもらいたい。
今回の件を良いも悪いも言いませんが、ちょうどいい年齢だったとは思います。
この機会を生かせるかどうかは貴方次第ですが、生かせる道があることを信じています。
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さて、ここからはおまけとしてジャニヲタ時代の思い出話でもします。
私のみゅと(と書いてみゅうとと読むことにしている)の人とのみゅとに関する思い出と言うと、真っ先に浮かんだのが横山さんソロコン。
私はもちろん行ってはいないんですけど、みゅとがまさかの関所越えをしたという一報が入った時、私は横浜・元町にいました。
上京してきた母と鞄を物色中にかかってきた一本の電話。
「どうしよう」
「とりあえず、名古屋に向かえばいいんじゃない?」
おそらくそんなことを言ったのでしょう。記録には「けしかけた」としか残ってなかったけど、新幹線に不慣れなみゅとの人にどこからどうやってどんな切符を買って新幹線に乗ればいいのか、と鞄屋の軒先でレクチャーしたことははっきり覚えています。
どんな鞄屋だったかどんな店内から電話を耳に当てながら外に出たかとか、まざまざと覚えている。
何故か薄れない記憶。
まさかあんなにも上手く事が運ぶと思っていなかったのかもしれません。
あの時、確実にみゅとの人は何段も何段も階段を上りました。
そして、あの初めての土地でのコンサートで自分のファンが見てくれているという驚きの経験は、小さなみゅとにとって忘れられない出来事のひとつなんじゃないかなぁと勝手に夢を見ています。
ちなみに鞄は別の店で買いました。今も残っているけれど、もう使わないから処分しようかなぁと考えていた年の瀬だったりします。
私自身がみゅとの現場を見たのは、13年のうちで言えばほんの限られた時間だったと思います。
正直なところ、現場で彼を見た時間のトータルよりも、みゅとの人に繰り返し見せられた映像の時間の方が長いと思う。
その中で一番たくさん見せられたのはPZ初参加の時のものかなぁ。
そこから始まったPZが私にとってはみゅとの現場の中では唯一と言ってもいいくらい、濃く覚えてるものでしょうか。
数年間、一緒に登山しましたね。
あの頃がジャニヲタとして一番濃い時間だったことは間違いないです。
ヅカヲタになってから、Jの刻印が消えた方々のお仕事を目にする機会が増えました。
宝塚を退団されたOGさんの舞台で、彼らを見かけるようになったのです(もちろん現役のJの方とのお仕事も多いですが)。
新しい世界でも活躍されていることは知っていたけども、そんな形で数年後、十数年後の彼らを見ることがあろうとは思ってもいませんでした。
そもそも自分がヅカヲタになるとも思ってなかったんだけどさ。
きっとこの先もまだまだ思ってもみない、新しい経験はやってくるのでしょう。
その日を楽しみに待っています。