森田美勇人退所餞別 『超豪華!!最初で最後の大同窓会!ジャニオタ(元含む)はてなダイアラー祭り』 エピソード4(Hさん)

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本日はようこそ、森田美勇人退所餞別 はてなダイアラー祭りにお越しくださいました。

 

このエントリ寄稿者は、Hさんです。

 

Hさんは、とにかくわたしに甘いです。岩本照くんとかけもちしてhinaco担もしてくれてるのかな??と思うくらい、わたしに甘いと思います(笑)Hさんが想ってくれるような立派なファンでも、ましてや立派な人間でもない、未熟極まりない自分です。だからHさんとお話するたびに、Hさんを失望させるような人間になってはいけないと襟を正すのです。

 

Hさんのダイアリーは、ツイッターになった今もそうですけど、紡ぐ言葉が詩のようで、なにかしらの感想が更新されると、ひとつの物語を読んでいる気持ちになります。なので単純にHさんが美勇人に触れる文章を書いたらどういうものになるのだろう?という興味があったのですが、いや~こうくるとは!です。美勇人ファンはじめ他人に強いる気持ちは微塵もありませんが、「視点が違えば見えるものも、感じるものも違う。だから良い悪いではないんだよ。」というわたしの言いたいことの分かりやすい具体例を提示してくれたことに感謝します。

 

それではお待たせ致しました。Hさんのお言葉をお楽しみください。

この度は本当に、ありがとうございました。

 

* * * * *

 

『謝意』

 

私はおたくとしての閃きに絶望的に欠けているので、自分の好きがなんなのか、たいがい見失っている。

 

胸がとくとく高鳴るより、お腹の底がそわそわ落ち着かないことの方が多い。

不安な気持ちをなだめたくて、そわそわする原因をひとつひとつ解きほぐしていく間に、いわゆる「担当」ができあがっていく。

 

Snow Manのヒカルイワモトさんを好きになって早9年…? とか経つけど、いまだにどうもそわそわしてばっかりなので、え、実はきらいなのかな? とか、なにかっちゃ自問している。

 

森田美勇人(敬称略)にもずっと、そわそわしてきた。

 

そのダンスに、人柄に、ときどき嗜好に(パセリ…ブドウ糖……)、存在感に、めまぐるしく変わる立ち位置に。

 

それからいつでも、hinacoさん(敬称)の目に映る彼に。

や、このそわそわは、ひなこさんをがっかりさせてない?! っていう小姑的なやつかもしれないけど。

 

 

そわそわがピークに達したのは、謎選抜のときだった。

謎選抜って、またとんでもなく古い話でお恥ずかしいのですが。

2013年ってもう5年も前で、でもあの頃の心臓の裏をなでられるみたいなそわそわは、今も生々しい。

 

単純に、見る機会も多かった。

クリエとか、ミスヴァのテレビ露出とか。

ひかるくんのとなりにいる美勇人(敬称略)って、そりゃあえて並んだだけあって、それまでにはないユニークなかたちだったし、ダンスの感じも面白いし、ふたりの関係性から見えるそれぞれの横顔は新鮮で、楽しいものではあった。

 

楽しいから、怖かった。

 

それは手前勝手な怖さで、ただわたしの望むユニットが遠のいちゃうかも、っていうそれだけの気持ちだった。

 

それ以来、たぶんわたしは美勇人(敬称略)に対してずっとフェアじゃなかったと思う。

 

彼が格好いいことが、いつも悔しかった。

 

トラジャにいれば空恐ろしいほどのステップを見せて、らぶにいればリズムを魔法みたいに操ってエネルギーを爆発させて。

唯一無二であるほど、悔しかった。

 

なんて心が狭いんだろうって、自分が情けなかった。

 

ここに、自分のどうしようもないところを、懺悔します。

 

 

 

悔しさをようやくちゃんと乗り越えられたのは、帝劇で見た夜空ノムコウだった。

 

ダンスの抒情に圧倒された。

 

1つ1つのステップの積み重ねが、どうしようもできないくらい胸に迫った。

ああ、これを見られてよかったなぁって、めぐりあえた僥倖を噛み締めるパフォーマンス。

 

ダンスに感動することが、私にとっては何より楽しいし、おたくでよかった! って思う瞬間になる。

だからその瞬間はかならず、心から感謝する。

 

美勇人、あのとき本当にありがとう。

それから、長く、手前勝手な気持ちをぶつけてしまって、本当にごめんなさい。

 

 

あの感動はたぶんずっと忘れない。

 

 

忘れられないぶん、これからの去就にさえ、どこかそわそわしている。

 

 

森田美勇人退所餞別 『超豪華!!最初で最後の大同窓会!ジャニオタ(元含む)はてなダイアラー祭り』 エピソード3(Mさん)

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本日はようこそ、森田美勇人退所餞別 はてなダイアラー祭りにお越しくださいました。

 

このエントリ寄稿者は、Mさんです。

 

一番古い友人のひとりで、あんなことこんなこと、本当に常にそばで見守ってくれていたし、支えてくれています。でも最初のはてダの印象は、「こわい」です(笑)あの文章から滲み出る「おれは他人に興味がねーんだよ!」的な威圧感。KO・WA・I!でも実際仲良くなってみたら、とーーーーっても面倒見が良くて優しい人でした。初めて直接会ったのは、エイトのサマスペ前夜祭のときで、初大阪遠征で迷子になっていた方向音痴のわたしに電話をしてきて「いまどこ?」「〇〇が見えるけどよくわかr「迎えに行くからそこから動かないで」とだけ言って電話が切れた思い出です。やっぱりKO・WA・I!

 

そなこんなで恐さと強さと知識(道に迷うと時間と太陽の位置で方向を特定します)を兼ね備えた鉄の人ですが、本当になんでもできる(お菓子作りもプロ級で絶対音感もあるよ)のに、自分の感情には疎いところがあって、興味深いなぁと思っています。自担に対しても、ご贔屓に対しても、場合によっては周りのほうがそうだと承知しているようなことを突如実感して泣いたりします。だから、この先どんなことが鉄におきても、寄り添うことができる人でわたしはありたい。

 

それではお待たせ致しました。Mさんのお言葉をお楽しみください。

この度は本当に、ありがとうございました。

 

* * * * *

 

ジャニヲタの皆様にはお久しぶりでございます、鉄です。

名前は別にあったはずですが、いつの間にか「鉄の人」という呼び名が定着してしまったようなので、ここではそう名乗ります。

 

本題に入る前に少し私自身の話をさせていただきます。

現在の私は宝塚歌劇団をこよなく愛する、所謂「ヅカヲタ」です。

 

ジャニでの担当さんは今も在籍していらっしゃるので、細々と現場に足を運んではいますが「ジャニヲタです」と名乗れるほどではありませんし、何より思考回路が今ではすっかりヅカヲタです。

 

ヅカヲタの特性としては「生徒さん(タレント)に対して過剰な敬語を使ってしまう」
「物事をすぐにヅカ特有の事象に置き換える」の2点を踏まえて、この先読んでいただければと思います。

 

 

私の現在のご贔屓(ヅカにおける担当)は在団10年を超える、ベテランの域に足を踏み入れた現役の生徒さんです。

そして先述の通り、担当さんは現役も現役の泣く子も黙るアラサーJr.です。

その前の担当さんもその更に前の担当さんも現役のジャニーズタレントです。


そうなんです、私はそこそこに長く(約20年)ヲタクをしているというのに、「担当という存在の喪失」の経験がないのです。

そんな経験値の浅いぺーぺーのひよっこヲタクなので、今回の件は正直なところ何と言っていいのやら分かりません。


ヅカというジャンルの良い点の一つとして「タレントの卒業を見送ることができる」ことがあります。

ある1人の生徒さんを応援しているとすると、年間3つから4つの興行を追いかけることになるのですが、毎回必ず行われる公演の顔合わせ(集合日という)の際に「今回の公演の千秋楽で卒業します」と発表があり、稽古から公演期間合わせておよそ4ヶ月(公演期間によってもっと短い場合もあります)かけて「最後の日」に向けて共に走り抜くことができるのです。


もちろん、それには例外もあります。

その顔合わせのその日に「今日で辞めました」と発表されるのです。

これは辛い。

しかしこのケースは比較的在団期間の短い下級生、言わばフレッシュJr.(この言葉が今や死語じゃないのかどうかも分からない)に見られる個人的な事情を抱えるケースであって、在団10年を超えるような上級生には当てはまりません。

 

今回の発表日付で退所とされた彼らのケースは、この当てはまらないはずの「上級生の突然の集合日付退団」と言えます。

しかもスター級の生徒さんの。

 

 

いやいやいや、ありえんだろ(真顔)。

 

 

例えば研15(在団15年め)のスターさんが集合日付退団とか、ないですよ。

もしあるとしたら、重い病気になった、とかそういう不幸なことしか考えられない。

 

万が一にも不祥事だったとしたら、おそらく自主退団ではなくタレント契約解除になるでしょうから、そこら辺はジャニと同じですね。

まぁそもそもユニット全員が一斉退所という時点で、本人達の個人的な事情であるわけがないんだけどさ。

 

 

私はいい大人で、もちろん彼らより相当に大人で、そんな私はヅカヲタであったりジャニ(Jr.)ヲタであったりすることは彼女ら彼らの一番美しく輝く時間を商品として買っているのだ、という罪悪感に似たようなものを常に持っています。

もちろんJr.という存在が同年代だった時代にそんなことは思っていませんでした。

 

しかし今はもう、10代20代の若者が集まって何かを成し遂げようと努力をしている姿を見るだけでおばちゃんはすぐに泣けるし、それにお金を払える価値があると思っています。

 

そして同時に、その美しく輝かしい期間の後に進む世界を、その時のうちに見つけて欲しいと願ってもいます。

 

皆が皆、それを見つけられる訳ではないけれども、こうやってその貴重な時を大人がぶったぎるような真似をしてしまったことは、一人の大人として、そして消費者として申し訳なく思います。

私が彼らに今言えることは、それだけ。

 

 

 

最後に森田くんへ。

 

森田くんはジャニーズに入ってご自分の才能に出会えた一握りの人で、そしてその才能が必ず外の世界でも通用するものであることを自信に思って、次の道へ進んでもらいたい。

 

今回の件を良いも悪いも言いませんが、ちょうどいい年齢だったとは思います。

 

この機会を生かせるかどうかは貴方次第ですが、生かせる道があることを信じています。

 


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さて、ここからはおまけとしてジャニヲタ時代の思い出話でもします。

 

私のみゅと(と書いてみゅうとと読むことにしている)の人とのみゅとに関する思い出と言うと、真っ先に浮かんだのが横山さんソロコン。

私はもちろん行ってはいないんですけど、みゅとがまさかの関所越えをしたという一報が入った時、私は横浜・元町にいました。

上京してきた母と鞄を物色中にかかってきた一本の電話。

 

「どうしよう」

「とりあえず、名古屋に向かえばいいんじゃない?」

 

おそらくそんなことを言ったのでしょう。記録には「けしかけた」としか残ってなかったけど、新幹線に不慣れなみゅとの人にどこからどうやってどんな切符を買って新幹線に乗ればいいのか、と鞄屋の軒先でレクチャーしたことははっきり覚えています。

どんな鞄屋だったかどんな店内から電話を耳に当てながら外に出たかとか、まざまざと覚えている。

何故か薄れない記憶。

 

まさかあんなにも上手く事が運ぶと思っていなかったのかもしれません。

 

あの時、確実にみゅとの人は何段も何段も階段を上りました。

 

そして、あの初めての土地でのコンサートで自分のファンが見てくれているという驚きの経験は、小さなみゅとにとって忘れられない出来事のひとつなんじゃないかなぁと勝手に夢を見ています。

 

ちなみに鞄は別の店で買いました。今も残っているけれど、もう使わないから処分しようかなぁと考えていた年の瀬だったりします。

 

 

私自身がみゅとの現場を見たのは、13年のうちで言えばほんの限られた時間だったと思います。

正直なところ、現場で彼を見た時間のトータルよりも、みゅとの人に繰り返し見せられた映像の時間の方が長いと思う。

 

その中で一番たくさん見せられたのはPZ初参加の時のものかなぁ。

そこから始まったPZが私にとってはみゅとの現場の中では唯一と言ってもいいくらい、濃く覚えてるものでしょうか。

数年間、一緒に登山しましたね。

あの頃がジャニヲタとして一番濃い時間だったことは間違いないです。

 

 

ヅカヲタになってから、Jの刻印が消えた方々のお仕事を目にする機会が増えました。

宝塚を退団されたOGさんの舞台で、彼らを見かけるようになったのです(もちろん現役のJの方とのお仕事も多いですが)。

新しい世界でも活躍されていることは知っていたけども、そんな形で数年後、十数年後の彼らを見ることがあろうとは思ってもいませんでした。

そもそも自分がヅカヲタになるとも思ってなかったんだけどさ。

 

 

きっとこの先もまだまだ思ってもみない、新しい経験はやってくるのでしょう。

その日を楽しみに待っています。

 

 

森田美勇人退所餞別 『超豪華!!最初で最後の大同窓会!ジャニオタ(元含む)はてなダイアラー祭り』 エピソード2(Mさん)

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本日はようこそ、森田美勇人退所餞別 はてなダイアラー祭りにお越しくださいました。

 

このエントリ寄稿者は、Mさんこと真帆さんです。

 

真帆さんといえば、とにかくアンテナ。はてなアンテナでなく、電波のアンテナです。つまりラジオです。ジャニオタ時代のラジオに対する情熱からの知識がアンテナにまで及ぶ勤勉さ。編集されない生のラジオで本人が語ったこと、大人の事情で言葉にはできなくてもなんとか含ませてくれる彼らを信じ、ニュアンスを汲み取る。わたしは信頼すべきモノの嗅覚の磨き方を、真帆さんの姿勢から学んだ部分は大きいです。

 

ジャニからだいぶ離れていたので、今年数年ぶりに直接お会いできたのですが、本当にオタクに年月って関係ないのだなぁという、先月ぶり~!みたいな感覚で多いに盛り上がることができてとても嬉しかったです。一周回って竹野内豊さんのファンになっている真帆さんが面白すぎました。所謂若手俳優さんなどは触れ合う現場があったり、写真集が発売されたりと想像できるのですが、竹野内豊さんに対するファン活動ってなにするの!?という素朴かつ大きな疑問に対して、「豊(ゆたか呼び!)はね~」と話してくれるので、みんな真帆さんから話きいて!楽しいよ(笑)

 

それではお待たせ致しました。真帆さんのお言葉をお楽しみください。

この度は本当に、ありがとうございました。

 

* * * * *

 

久しぶりにジャニオタだった頃の気持ちを思い出してはてなダイアリー(あえてのダイアリー)を書いてみようと思うのですが、実は私には美勇人くんの思い出というのは全然ないのでした。

 

そんな私に思い出せることと言ったら「いつだって全力で美勇人くん担当のhinacoさんの思い出」なのですが、その中でも一番よく覚えているのは美勇人くんが最初に箱根のお山を超えた時のことです。

 

ある時突然名古屋かどこかのコンサートに美勇人くんがついていたとかで、hinacoさんが「美勇人が箱根越えをする時は絶対見ると決めていたのに」としくしく泣いていると思ったら、次の日には残りの公演のチケット全部揃えて、hinacoさん自身が箱根のお山を越えていました。

あれはすごかった。

 

そういえばあの時はまだツイッターがなかったので、私はその経緯をはてなダイアリーで読んでいたんだと思うんですが、なんでそんなにリアルタイムで状況がわかったのか、今になってみるとちょっとよくわかりません。みんなよっぽどマメにダイアリー書いてたんでしょうか。

 

 

もうひとつ覚えているのは、青山の喫茶店でみんなでお茶をしていたらhinacoさんの携帯(ガラケー)に連絡が入って、なにかのチケットが1枚余ったらしいから今から行けば見られるんだけどワッフルを注文してしまったと言うので「ワッフルは食べといてあげるから行け行け行ってこい」とみんなで送り出したことです。

hinacoさんはなにかの公演を観に行き、私たちはワッフルを食べました。

あれが美勇人くんの公演だったかどうかは定かではないのですが、「美勇人担のhinacoさんの思い出」なので、私にとっては美勇人くんの思い出に等しいものです。

 

 

美勇人くんの退所が発表された時も、まず「hinacoさん大丈夫かな」と思い、それから「Jr.の退所発表すんの⁉︎」と思いました。

 

そのくらい個人的なことだと思うのです。

 

そのアイドルを好きな個人が友人で、その友人のでっかい愛を見ているから私もそのアイドルをなんとなく信頼する。

そのくらい汎用性がなくてたまたまで、個人的な話。

 

そして何千何万のファンを持っているアイドルだって、ひとりの人間です。

 

私はジャニーズの別のアイドルグループが好きでしたが、事務所への不信感から「自担は好きだけどもうあの事務所にお金を落とせない」と思ってジャニオタをやめました。

そんな人間がなんやかや書いて、今も事務所を好きな人の目に触れたら愉快なことではないでしょうし、私も今更事務所に恨み言をいう体力もありません。

 

ただ、これからは個人を尊重しなければ、組織というものが生き長らえることはできない時代になるのではないかと思います。

 

アイドルという個人、ファンという個人。

 

組織よりも個人を優先して考えられない組織は、早晩瓦解するしかないと。

 

美勇人くんのいたユニットの全員が退所したこと、それが発表されたことが異例だというのはわかります。

でも、その退所にどれだけ彼ら個人の意思が反映されていたのか、それは隠されてわかりません。

 

 

こういうことがなくなればいいなと思います。

 

それはあの事務所を思ってのことではなく、今もあの事務所のアイドルを好きな私の友人が、もう一人も悲しまないために。

 

 

森田美勇人退所餞別 『超豪華!!最初で最後の大同窓会!ジャニオタ(元含む)はてなダイアラー祭り』 エピソード1(Tさん)

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本日はようこそ、森田美勇人退所餞別 はてなダイアラー祭りにお越しくださいました。

 

このエントリ寄稿者はTさんこと、隊長さんです。

 

隊長さんといえば、はてダで有名な上里くん担のかたというイメージで、当時から顔の広さが際立っていましたが、年々ジャンルも広がり、もはや隊長さんを中心に置いたらある程度のオタクはつながるのではないか?と思っています(笑)アンテナ(ツイッターでいうフォロー・フォロワーみたいなもんです)に登録してくれたときも、こんな片隅のみゅーと担のダを読んでくれるなんて…!となった記憶。その積極性が素晴らしいなぁ、見習いたいなぁといつも感じています。

 

隊長さんのすごいところは、どのジャンルも全力で、本当は3人くらいいるのではないか?と思わせるバイタリティです。フットワークが軽すぎる。お仕事も常にお忙しそうで、強さと逞しさを備えた素敵な女性だけど、とても優しくて繊細だから、わたしは時々心配もしております。ほどほどにね。無茶しすぎないでね。健やかでいてね。

 

それではお待たせ致しました。隊長さんのお言葉をお楽しみください。

この度は本当に、ありがとうございました。 

 

* * * * *

 

2011年の11月13日に、横浜アリーナドリライテニミュ)を見に行って、ハシゴでAXに行って。

年末で解散します、事務所に残るのはガキさんだけです、ってウキウキした立ち位置最前で言われたのがもう7年前…となっております。


元担は最後の自担なの><って13年とちょっと追いかけてきた私には寝耳に水で。

当時びっくりする位、本人の目の前で泣いた記憶があるわけですが。

 


元気にジャニヲタing進行形、隊長。です、お久しぶりです。はしーちゃんはいいぞ!!!

 

 

さて、今回はhinacoさんからのご依頼を受けて久しぶりに仕様書と報告書以外の文をカタカタしております。

正直、うまく書ける気がしてねぇええええええ!!!けど、よろしくお願いします。

 


まずは、みゅちゃん、13年6ヶ月お疲れ様でした。

萩ちゃんも、しょーきも、さなぴも、れおちゃんも、あらんちゃんもお疲れ様でした。

そして、安井さんも、安井くんのことだから最後まできっちりやるんだろうけど。走りきって欲しいな、と思います。

7人の未来に幸あれ。

 


さて。

一足先に「自担の退所」という一大セレモニーを経験した私が思うのは、まぁ、私も元担もそれぞれ元気に生きてんよ!ってこと。

 

確かに、額のJの刻印がなくなるってことは、不思議なことで。刻印がある彼らしか見てきたことなかったから。

あの子たちがこれからどういう道を進むのかは分からないけど。

 

何か自分が思い描いていた理想形じゃない事が見えてきたりするんですよね。

私の場合で言うと、一緒に写真とって貰ったりお酒作ってもらったり、元気だった?とか言われたりして。

めっちゃカルチャーショックだったよね(爆笑)

いやそりゃJじゃないからそうなんだけど。

それはそうさ確かにそうだけど(雨メロ)!!!!!

 

何が言いたいかって言うと、あの事務所であんだけ揉まれて表にいた人たちなんだから、ちょっとやそっとじゃ折れないし、強かに、しなやかに、新しい環境にFitして生きていけると思うんだよね、私は。

それが私たちが見えるところで活動するのか、そうじゃないかだけで。

 

だから、私たちもお前らも覚悟を決めて顔上げて今は前だけ見て歩いてみようぜってこと。(本人に関しては覚悟なんてずっと前から決まってると思っているよ)


何回推敲しても納得いく文章にならないのでここら辺でまとまらないまま書き逃げしようと思うんだけど(最低)

こうやって文章を書くに当たって、ツイッターのログ読み返したりしてみて。

長い文章でその時の気持ちを残しておくのはとってもとっても大切なんだなぁとしみじみ。

今はもうそんな気力も体力も時間もないのだけど。

 

でも、やってみるのも悪くないなぁと思い出させてくれたhinacoさんのログと、こうやってhinacoさんにブログを書き続けさせたみゅちゃんの存在に、ありがとうを言いたい!!!

 

最後にこの言葉をみゅちゃんと我らがhinacoさんに捧げます。(BGM:スミレの花咲く頃)(ヅカもいいぞ!!!!)

 

「僕らはみんな同じ空の下で繋がっている」

 

森田美勇人退所餞別 『超豪華!!最初で最後の大同窓会!ジャニオタ(元含む)はてなダイアラー祭り』 エピソード0

8時だJ、一夜限りの復活おめでとうございます。祝して今回のエントリタイトルはオマージュです。

8時だJの最終回が9月22日だったことは、今でもよく覚えています。

「すばるくんの誕生日なのに、8時だJが終わっちゃう!良い日なのか、悪い日なのか…」と、こども時代の自分が言っていたからです。

こども時代っていくつからいくつまで?というような野暮なことはきかないでください。

 

ちなみに8時だJ最終回時の美勇人くんは、1か月後に4歳になる3歳ですね。でもその約5年後にはジャニーズJr.になっているのだから、感慨深いです。

 

そこから更に13年が経ち、ご存じの通り2018年12月31日をもって森田美勇人はジャニーズを卒業するわけですが、それが公式発表されたのは11月末。

退所までの1か月間、ただ過ぎていくのを待つのではなく、なにかできないだろうか。

新しい道へ歩みだす美勇人くんに向けて、わたしならではのはなむけとなるモノはないだろうかと考えました。

 

そこで思いついたのが、美勇人担以外の人からお言葉を頂こう!というものでした。

Jr.歴の長い美勇人くんには、担当以外でも初期を知っている人、そこからの成長を目にしてきた人がたくさんいます。

美勇人くんに対するファンとしての温かい想いは、きっとたくさんの美勇人担さんたちが紡いでくれることでしょう。

そこに加えて、担当以外の人でも長年見守っていた人がいることや、力強く見送っているという現実が、形になって見えたら良いのではないかなという理由がひとつ。

 

 

ふたつめの理由は、美勇人やLove-tuneから1歩や2歩どころか、何m、何kmも離れた位置にいる、フラットな思考状態の人たちの考えを、わたしが聞きたかったということ。

あなたの視点からはどう見えた?なにを思った?ジャニから離れている人は、今いる場所から改めて今回のことを見るとどう感じる?

悩み、哀しみ、妬み、苦しみにより光が消え去っていない人たちの、冷静な視点による「今」を形に残したかった。

 

渦中にいるとしかたがない部分ではあるけれど、どうしても脳内が「事務所・自担・自分」しかなく、「どちらかが悪なら、反対は善」だという思考で、「自分の感傷と現実の状況」を分けられていない言葉は、目にしてあまり気持ちのよいものではない。

 

同調して、なぐさめ励ましあうのも、精神衛生的には大切なことなので、それはそれでいいのだけど、やはりそこに同調できるのは全体でみれば一握りでしかない。


最後だからこそ、そういう極端なものではなく、ジャニオタであろうとなかろうと、美勇人くんを知っている人なら誰でも読む気になれ、それを読んでいる瞬間だけでも、穏やかな気持ちで美勇人くんに想いを馳せてもらえる言葉をわたしは残したい。

 

 

そして最後にして、ある意味最大の理由みっつめは、はてなダイアリーが2019年で終わってしまうこと。

はてダについてのエントリー(こちら→)でも書きましたが、現在仲良くしてくれているジャニオタ、元ジャニオタのみなさんは全員はてダで出会いました。

だから、友達であると同時に、それより先にわたしはそれぞれのはてダに対するファンでもあるのです。

はてダが終了する前に、もう一度だけみなさんの文章が読みたい!わたしが、読みたい!!ただそれだけ!!!

 

その熱い想いをたずさえて、「ジャニオタとしてのわたしによる最後のワガママです。どうかみなさんのお言葉で、美勇人の退所に花をそえてください!」とお願い致しました。

 

で、ですよ。

 

お願いすることは、まぁいい。

 

だがしかし、時は師も走る12月です。

 

9歳だった美勇人くんが23歳になった年月の通り、こちらも周辺も同じだけ歳を重ねているわけですよ。

 

 

12月とか、みんな仕事も日常も忙しさの極みなんですけど!!!???

 

 

知ってた!わかってた! それぞれがどんだけ忙しいかは愛してる、わかってる、きみのこと!的なWords Of Love的なあれで、職種までは知らなくてもとりあえず誰もが忙しいことは重々承知してる!!!

 

そこに更に「お言葉ちょーだい」なんてお願い、常識ある社会人なら躊躇しますよね…。

 

いや、もちろんわたしもしたよ!

ものすごい葛藤した。みんなにメッセージ送るまで、何度もためらった。


本当にこれがきっかけで、長年の縁が終わるかもしれない…と覚悟もしている。

 

だがしかし、それでも…!という決意の元、オファーをさせて頂いたことは、ここに記しておこうと思います。

 

だから、あの、これからも、仲良くしてください…(泣)

 

* * * * *

それでは最後にあらためて、今回の祭りについて説明をまとめます。

 

・ご縁のあるはてなダイアラーさんの中で、美勇人・Travis Japan・Love-tune に現在進行形でそれほど近しくないかたにお願いしました。現役Jr.担は3人しかいないよ…(笑)

 

・お願いした条件は「文字数はツイッター程度でもかまわない(もちろん長くても大丈夫)」「美勇人の退所に少しでも触れてくれたら、内容は自由」「綺麗な文章でなく、それぞれが自分のはてダを書くように」です。

個性の塊なみなさんなので、そのままを読みたいというお願いです。わたしが一番無難というか特色が薄いというか、THE☆ふつうという感じなので…。

 

・頂いたお言葉は、個別でエントリーを作成します。その際、見出しのお名前表記は揃えるためにアルファベットとしますが、ご本人が名乗っている場合はそのまま掲載します。

匿名でないかたは、これ書いたよ~とご本人がツイッターなどで触れて頂いてかまいません。

 

・12月24日以降、順次公開予定です。お楽しみに!(というか自分が楽しみすぎて、最高のクリスマスプレゼントだなと思っている)(引き受けてくださったみなさま、ほんとにほんとにありがとうございます!)

my story for you

Jr担としてのマニュアルがあるとしたら、なによりもまず「自担は、いついなくなるかわからないものです。だからもし、明日いなくなっても自分が後悔しないように応援しましょう。」と書かれると思うんですよね。

早々にこのテンションの内容を載せるのはいかがなものかって感じですが、まさに上記に関連することなので、『バック担のテーマソング』と題された自分のはてダ2010年のエントリーを貼りつけます。

 

先日のJUMPコン終わりに、Aさんとサマリーの予定を立てていました。

毎度の事ながら、様々な状況を仮定して苦悩する自分(中学生無所かつ使い勝手の良い神出鬼没担)。

するとAさんが爽やかな笑顔で「私にはもう必要ないから、あの替え歌はユーにあげるよ!」と言ってきました。

その笑顔が眩しい…。

 

私はAさん作替え歌が好きです。

その中でも三大傑作でありながら、間違いなく過去最高に酷い「あの替え歌」(内容以外にもタイミング的な部分あり)(2008年2月の滝つコンでお察しください)。

せっかく頂いたのでジャニオタ夏の陣へ向け、いつでも見れるよう自分のとこに貼らせてもらいます。

バック担ガンバレッツゴー!

 

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『即 振りこんで』

℃-uteの「即 抱きしめて」のメロディで歌って下さい。月部分は流動的。


ヲタクにだって都合があるわ 強引すぎるのジ・ム・ショ


行けないほど 盛り上がるから チケ取る意味を感じる


コンするメンツには かすかな希望がちらり


コンする日取りから ほのかな不安がゆらゆら漂うわ

 

8月なんて先のこと ちょっとわかんないけど


この場で即 振りこんで


嗚呼 いないよ いないわ


2008年Aさん作

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久しぶりに見たけど、本当にひどい替え歌だな(絶賛)。

とまぁ、Jr担として基礎中の基礎であるこの思考で美勇人担をしてきましたが、まさか「あと1か月で自担が退所します」という終わりがくるとは、さすがに思ってもみませんでした。

 

すごい、さすが平成の終盤…!

 

もちろん春以降はこの方向性も見越して過去ログ公開場所を作っていたので、退所をするということに関しては「そういう選択をしたのね、了解」と受け入れるまでです。

 

ただし、現実として状況を受け入れることと、感情を昇華させることって、当然ながら違うんですよね。

感情といっても「どうしてこんなことに!?」とか「辞めるの辞めて!」みたいなものはいっさいなくて、思い出とか感謝とか、センチメンタルなものと温かいものが交互に押し寄せて、じんわりと涙するのでした。

 

あぁ、美勇人は13年6か月よくがんばったなぁ。

 

そしてわたしも、13年3か月よくがんばったなぁ、とか(笑)

 

じんわりというか、だいぶボロボロ泣いたけど、流れてくる涙は全てあたたかい感情だったので、今のわたしがそういう自分でよかった。

 

前2回の新エントリーは老婆心故の更新だったので、最後はとくになにも考えず、溢れてくるものを書いてみます。

見切り発車の自分語りなので、御見苦しい点もあるかとは思いますが、お付き合い頂けるのならば嬉しいです。

 

 * * * * *

 

ツイッターでも書いたけど、人生は点ではなく線だから、本当の意味で「今」を語れるようになるのは、この先の「未来」においてだ。

これから先、今を振り返ったときに、このターニングポイントを笑って話せる未来にする!という、決意があるならば、それでいい。

そうであって欲しい。

そうなって欲しい。

 

ジャニーズから森田美勇人がいなくなるとわかったときに溢れてくる感情が、「今まで長い間、本当にありがとう」だという事実は、美勇人担としての終わりをむかえるにあたって、これ以上のものはないんじゃないかな。

数年タイミングがずれていたら、もやもやしたまま終わっていた可能性もあるのだから、今でよかった!と心から思える現在で本当によかった。

 

言ってしまえば、今さえも「どうなるかわからない未来」だったよ。あの時の未来である今がこういう状況だから、あの頃を口にできるんだよ。

出来事の大小にかかわらず、そういうことを13年間繰り返して、今の美勇人担としてのわたしができあがっている。

 

だから、もちろん楽しいことだけではなくて、山あり谷あり、泣いたことも不安になったことも、そして怒ったことも…割と怒ったことが多めにあるけれど(笑)、そういう感情すべてによって作り上げられた美勇人担人生だった。

 

さらにいえば、この13年の美勇人担人生は、運とタイミングとご縁で形成されていた。

美勇人本人と自分の性格(応援スタンス)の相性、自分の引きの強さ、そしてずっと見守り一緒に楽しみ、支えてくれる友人たちに出会えたご縁。

どれかひとつでもかみ合わなかったり、欠けていたら、きっとどこかで私自身も別の選択をしていたと思う。

 

 

最後だからわたしから見た「ジャニーズJr. 森田美勇人」を書いておきたいなとは思うのだけど、それってすごく難しくて、なにが難しいのだろうと考えると、どうしたって9歳からみていると、アイドルをこえて、人間関係みたいな視点になってしまう部分は正直ある。

 

ほら、お正月に年1で会う親戚から、小さいころの話を蒸し返されるようなことってあるじゃないですか。もう毎年その話はいいよ~やめてよ~みたいな。

そういう「もう今更言わなくていいよ」的な恥ずかしさが相手側にもあるだろうなとは思うけど(笑)、ここはわたしの集大成なので最後はすきなように書いています。

ずーっと見られてきた(こっちからしたら見守ってきた)終わりのまとめなので、ご了承頂きたい所存です(お空にむかって)。

 

この最後のエントリーを書くにあたり、自分のはてダを見返していたら、まさに18歳の誕生日エントリーがわかりやすい各年のまとめになっていたので、そのまま貼り付けます。

 

 しばし18歳記念の個人的思い出話にお付き合いください。みゅーとの思い出というよりは、完全な自分語りなので中身は無いです!まったく!


【9歳】

衝撃の出会いに興奮して家の階段を駆け下りる。全てはここから始まった。


【10歳】

「美勇人スペシャル」と呼んでいる少クラ放送回をひたすら見ていた。私はこの年の春からみゅーとが辰巳くんに似ていると主張しておりました@ひまメロ。夏に乳歯が抜けたことを祝っていたら、乳歯担呼ばわりされる。


【11歳】

この年の春から手の綺麗さと、みゅーと×ハットの素晴らしさを主張しておりました@エイトコン。今は自分が観ていなくても世の中誰かしらが観て発信してくれるようになったけれど、この時はジャニーズJrの大冒険07で途中からいなくなった後、いつから復活したかどれだけ検索しても判明せず。


【12歳】

「今でこれだけかっこいいのだから14歳が怖い!こんなかっこいい12歳が14歳になる日がこの先くるなんて怖い!絶対高校生になったら一般ウケするただのイケメンだよ!!!はぁ…どうしよう…かっこいい…」という主張と嘆きを繰り返した1年間だった。この時の主張は間違っていなかったと自分を褒めてあげたい。

お仕事の質と量共に今振り返ってもこの1年は特別で、この時期を一緒に駆け抜けることができたのは、とても幸せなことだなぁと実感している。


【13歳】

ハートのピンチを引きずったまま13歳に突入したら更に魅惑の恋に溺れて、好きすぎて泣いてるか穴を掘り進めていた。日々かっこよくなっていて、振り落とされないように頑張っていたら反抗期に突入したよ!


【14歳】

輝く14歳がやってきたのに反抗期…としょんぼりしたら数ヶ月で終わった。12歳の時にも「すごいな!」と感心する出来事があったけど、本当に賢い人だと思う。それでいて優しいからたまに心配もしてしまう。

自分の過去ログ読んでもかっこいいしか言ってないし、事実どのお仕事見てもかっこいいしかなくて、最強のU-15森田美勇人。何度目かの転機となるPZ2010出演は素晴らしく、私にとってもこの年はネクステだった。


【15歳】

「ようやく時代がわたしに追いついてきた!」と叫んだ15歳の誕生日。

12月に受験休みへ入り、4ヶ月と12日会えなくて存在の大きさを実感する。良い経験になった。PZ組にJR.Aという括りができ、私自身がユニというものを意識できるようになった時期。


【16歳】

何でも受け入れる気持ちではいたけれど、初めて髪型に悩まされた季節。自分を見つめ直すことを含め冬は休息し、ようやく春の兆しを感じてきたところでクリエの森田さんがかっこよすぎて頭パーン!ってなった\(^O^)/


【17歳】

ドラマや名前表記のクリエ等、新しいお仕事があって新鮮だった。滞らないというのはとてもありがたい。

個人的には前年に引き続き不穏な秋~年明けで、8年の中で一番落ち込んで一番悩んで、自分の無力さを思い知るばかりで煮詰まってそのまま消えるかもしれないと思ったけど、PZ楽にて私は間違っていなかったと実感させてくれたみゅーとくん天才。

 


好むモノに応えてくれて、求めるモノを叶えてくれて、本当に私は恵まれた出会いをしたなといつも感謝しています。

初期の頃に「果たして18歳の姿を見ることができるのか」という話題になるほど遠い未来だった18歳の誕生日を、こうして変わらず、それどころか順調に素敵な男性になっていっている美勇人を見続けられていて、本当に嬉しいです。

まだまだ一緒に走らせてください。これからもよろしくね。

 

 

美勇人を応援しているうえで前提としていたことがあって、それは「こども扱いをしない」こと。

いまはもう大人なので、こども時代にということだけど。

 

そこに至った理由はいろいろあるのだけど、いちばん根底にあるのが美勇人に対する自分の感情が最初から「かっこいい」なことと、早くに「かしこい」人であると分かっていたからかなと。

 

12歳のサマリーである行動がありまして、これ説明しようと一度書いてみたけど長すぎるから削除したので、まぁ「ファン対応」ということだけ書いておきますが、その行動を知った友人が「あの年齢でその行動がとれるって、大切なことがわかっているし、末恐ろしい」と言っていたのが印象深い。

 

 

だからこそ、「かしこい」と「やさしい」が強く存在する人に対して、わたしはあまりにも押しつけていなかったか?と、美勇人担の終わりをむかえるにあたって、自問自答する部分もあるのです。

 

もちろんわたしひとりの意見で、判断や選択をされるなんてことはありえないのだけど、ひとつのファンの意見として存在したときに、わたしは美勇人にとって良いファンだったのだろうかと。

 

そんな答えのでないことを、考えてしまったりもします。

 

 

ジャニオタの中ではずっと言われてきていることだけど、やはり額にJの刻印があるかないかは大きくて、「ジャニーズ独特の輝き」というものは確実にある。

 

美勇人の額からJの刻印がなくってしまうことは、良い悪いではなく、単純にさびしい。

 

そこは間違いなく、さびしい。

 

 

 

額にJの刻印がなくなったうえで、それでも表舞台に立つ人は、本人のブレない意志と、人間的魅力が必要だと個人的には思っている。

 

だから、デビューだユニットだという前に、常に個で立てる人であってほしかった。

どんな方向に舵をきっても、美勇人の未来が明るく照らされるように。

 

 

 

今の美勇人は、それらをしっかり備えた大人に成長してくれた。

 

数年前だったら「(不安すぎるから)辞めるの辞めて!」と思っていただろうけど、今の美勇人ならば大丈夫。

 

なんでもやってみなよと、13年間添えつづけた見えない手で、わたしもそっと背中を押そう。

 

13年間の経験は全て本人の糧となり、新しい場所での森田美勇人を輝かしてくれることでしょう。

 

わたしはそれを、楽しみに待っています。

 

 * * * * *

 

 

さて、長々と書いてきましたが、そろそろ幕をおろします。

 

12月31日で「ジャニーズJr. 森田美勇人」は卒業しますが、同時に、「ジャニオタ」「美勇人担」のわたしも卒業です。

 

これまでのジャニオタ人生、そして美勇人担人生で仲良くしてくださったかた、見守ってくださったかた。

みなさんがいてくれたから、楽しくて、面白くて、感動できるジャニオタ人生だったことは間違いありません。

 

「美勇人担のhinacoさん」に出会ってくださった全てのみなさまに感謝をこめまして、13年間ほんとうに、ありがとうございました!

 

2018年12月15日 hinaco

 

美勇人くんの身長推移

最後のエントリー用に自分のはてダを見返しているのですが、18歳の誕生日記念に作ったものがありました。

せっかくなので移行しておきます。

* * * * * * * * * *


 

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私はみゅーとが小さい頃から「170をこえるのは当然、最低ラインが172、現実的に174になれば満足、理想は177~178になってくれること」と念じている話をすると、周囲のみなさんから「(みゅーとに対して)厳しすぎ!」「ハードル高いよ!」と言われてきましたが(笑)、実際それに応えてくれたのだから、やっぱりみゅーとくんかっこいいね(*´∀`)

2013年12月エントリーより